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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

On Your Mark

あけましておめでとうございます。

その年にあったことについては、できればその年のうちに書いてしまいたいという気持ちはあるのですが、さすがに師走と言うだけあって、師でもないのに何かとバタついてしまいました。年末に少し時間もあったのですが、どうしても年内に読みたい本が2冊あったので、書くより読むに時間を割いていたら、時間が足りませんでした。

というわけで、いったん一年の総括をしてからゆっくり個別に書いていくことにしましょう。

 

さて、2016年を振り返れば、ようやくスタートラインに立てたというような年でした。

 

上半期、下半期、それぞれ一つずつ大きなテーマに正対することになりました。どちらも私の根幹にかかわる引っかかりで、どうしても何とかしたかったのですが、どうしても何ともなりませんでした。それが昨年は、そうなるようにできていたのではないかと思いたくなるほど、実に私も周りも自然とそうなるように流れていきました。

 

 

上半期は前の仕事から連なる恩人についてです。

自分が虐げられたり貶められたりすることは、それはそれで辛いことです。しかし、私にとって大切な人がそうされることの方が何倍も、何十倍も深く抉られ、耐えがたく、さらに、それに対してどうすることもできない己の無力さに直面し、屈辱的なものを感じます。

4年半ほど前に、ごく一部の不誠実で傲慢な人間が持つ実に利己的な自己顕示欲と支配欲による、私の恩人への筆舌に尽くしがたい仕打ちは、その人を深く深く傷つけ、まるでその人ではなくなってしまったかのようにさせました。その人の人生はもちろんのこと、私も含め、その人のまわりにいた人たちの人生もまた大きく左右されることとなりました。恩人は地元に帰り、まわりの人たちも多くがそれぞれに仕事を変え、それぞれの場所に移りました。私は仕事は変えましたが、私の地元でもあるその地に残りました。

それ以来、年の瀬にはみんなでその恩人の地元を訪ねてはお酒を酌み交わしていましたが、一昨年、今度は私が行く、とその人自らが口にしてくれました。とても嫌な思いをさせられた土地に、当時はもう二度と行かないと言っていたのですが、少しその心境に変化が生まれました。

翌月、年が明けた一月の暮れ、遠くの島でその人の講演会が開催されることになり、私もその手伝いに行きました。翌日、この機会を逃してはならないということだけは確信し、しかし具体的な計画も何もないまま、私はその人に、今度は私が準備をするのでこちらに来ていただけませんか、と申し出ました。複雑な思いが巡っていたのだと思います、慎重に言葉を選びながらも、その機会を望んでいることを私に告げました。

それからの半年はとにかくそのことをなによりも優先して考えてきました。形の上では私の仕事の一環として位置付けていたものの、もはやそれは私の個人的な使命でもあり、私たちの念願でもありました。その人のためなら、と協力を惜しまない人たちがたくさんいいました。まったく別の軸でその人に突き動かされていた人たちがいて、その人たちも私たちに寄り添ってくれました。思えばその人のまわりにはいつも、その人柄に惚れたたくさんの人たちがいました。

その会をなんとか形に持っていった7月の頭、当日はその人に会いたい人たちが驚くほどたくさんいて、その時間と空間はその人への想いで溢れていました。

あの日以来、右往左往しながら前にも進めず、後ろにも進まず、ただ時間だけが過ぎていたような気がします。

この日、180°風向きが変わったような気がしました。あの頃とは違うところで、あの頃と同じ方向に進めるような気がしています。

 

 

下半期は年初の一言、今年は本気、からスタートしていたのかもしれません。

あまりの縁のなさに毎年のようにまわりからネタにされ、むしろ自分からも積極的にネタにしてきていたことがありますが、それにしても気がつけばもう悪夢のような記憶から10年以上の月日が流れていたことになります。私はいつもなら8割以上の心持ちでネタとして扱っているところ、昨年はなぜかネタとしての気持ちが4割ほどで留まり、残りの6割は本気だったように思います。そういうことで、いつもよりも強調して、今年は本気、と言い始めたのが年初で、以降その話になるたびに、今年は本気、と言い続けてきました。とはいえ、上半期はなんにしてもそのことが常に中心に回っていたため、いくら口では本気と言っていても、中身は一向に伴わなず、特に何をするでもなく、何がどうなるでもないままでいました。

それは6月の終わり、まさに7月頭の会の準備が大詰めに向かっているその時、それまではまったく意識にもありませんでしたが、ほんの些細な一言で、ほんの些細な行動で、意識下に現れてきました。不意を突かれたので事の真偽は自分でもよくわかりませんでした。

それからひと月、会も大団円を迎え、事後の処理も大方目途がたった7月も終わり頃、 私自身よく定まっていないままではあったものの、ちょうどいいきっかけがあったため、一つ動いてみました。この最初の動きは人の意思もさることながら、運にも左右されるもでしたが、むしろそれが私にとっては良かったのかもしれません。そういうものを信じているわけではないですが、うまくいくときはそういうものだし、うまくいかないときもそういうものだと思っているところがあるからです。

ひと月に1回か2回、何かしらの機会をつくることができたわけですが、私は無理することが苦手にもかかわらず無理をしがちになる傾向があるので、ことこれに関しては意識的に無理をしないようにしてきました。私が私自身に対して疑心暗鬼になっていたことももちろんそうですし、なにかにつけて人よりもゆっくりとしかできないという性質もまたそれに輪をかけていたかもしれません。

今、というよりも、この先、より距離が近くなっていけるような感覚が、いつしか湧いてきていました。もうこの歳になると境目がよくわからないものなのかもしれませんが、私はそこまで器用ではありませんので、年の瀬も押し詰まった頃、一つの区切りとしてはちょうどいい時期かと思い、私はいよいよ境界線を引くために一言声をかけることにしました。一言といっても、実際にはひたすらにまわりくどく、ずいぶん悲惨なことになっていたと思います。こういう時、私はそういう人間だということを嫌でも認識せざるを得ません。私はいったいどういう言葉を交わし合ったのかほとんど覚えていないほど動揺していましたが、望んだ通りに話が進んだことだけは分かりました。一瞬だけ放心状態になりました。

もうあと数日で年が明ける、そんな夜のことでした。

 

 

かくして幕を閉じた2016年、日々の生活が充実していた年というわけではありませんでしたし、むしろずいぶんと苦しいものがありました。ですが、おそらく私の人生を振り返る上で外すことができないことになりそうな出来事が2つ起こったのが昨年でした。そして、そのどちらもが、これがゴールではなく、ようやく暗鬱とした足踏み期間を経て、これからまったくどうなるかわからないけれども、どちらの方向に進むにせよ、ともかく進むことができる状態になる、そんな出来事でした。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。