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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

ミスマッチ

一泊させてもらう友人の奥さんは共通の後輩で、いつも私をいい具合に馬鹿にしてくるのです。遅れること40分、4番目にやってきたこの日もやはりそうでした。

 

いつものように私の声が聞き取りにくいことを嘲り、ひと月ほど前の旅行のときの私の声のこともみんなに言おうとして、途中でやっぱり私に自分で話せと放り投げてきます。なぜ自分のことを馬鹿にする話を自分でしないといけないのか分かりませんが、つい乗せられてしまいます。

 

さらに、この日もっとも象徴的だったのは面と向かって、変な顔、と言われたことです。確かに私は変な顔をしているし、そのことについてはわりと自覚的でもあり、むしろそれをうまく利用して笑いを取ろうとする節がありますので、まあいいと言えばいいのですが、普通はなかなか本人に向かって変な顔って言わないような気がします。

まあ、それを聞いてまた別の友人が、変な顔って、って言いながら大笑いしているのもそれはそれでどうかと思う、というより、そっちの方がひどいのかもしれませんが、ともあれ、そんなことで何度も笑いが起こって、場がより一層和んでいきました。

 

もうひとつ、印象的なことがあったとすれば、また馬鹿にする、いえいえ馬鹿にしてないですよ、という掛け合いの中から出た、すごいですね、という棒読みです。まったくもってすごいと思っていないのを伝えに来ている棒読みです。じゃあなにをすごいと思うのか、と問い詰める中でいくつかひねり出そうとした中で、自分で会社を始めているということを挙げてきました。

これについては私自身、偏見ともとれるかもしれないけれどもある程度固まった見方があり、馬鹿にしてくる友人にも、ちゃんとなぜすごくないのかを伝えてみるいい機会かなと思いました。

 

簡潔に言えば、社会不適合者だから、です。

起業、というと、カッコいい感じだったり、なんかいけ好かない感じだったり、それこそすごい感じだったり、まあもろもろ感じ方はあるかもしれませんが、たとえば、起業家なんて言い方は、なんだかひたすらええかっこしいな気がします。ましてや自らのことをそのように称する人たちもいますが、それはもはや私のような社会不適合者が、そのことを認めたくなくって必死になって、なんとか自分のことをいいように見せようとしてそう言っているのではないかと思えて仕方がありません。

 

社会適合者は、今の社会にあるモノやコト、あるいは仕組みの中で、程度の差はあれ、どうにかこうにかちゃんと適合して生きています。ですが、社会不適合者の中には、本当にどうにも適合できずにどうしようもないほど苦しんでいる人たちがいる一方で、適合できないから自分が適合できる社会、ここでいう社会は広い意味での社会ではなく、自分の身の回りの小さな社会程度のことですが、適合できる社会をつくることで、なんとか生きているということなのだと思います。そうしてつくった社会が、たまたま多くの人に受け入れられたら、それが広い意味での社会のひとつとして吸収されていく、そうして社会不適合者が形としては社会適合者になることもあるのでしょう。

同じように会社を立ち上げた人でも、もともと社会不適合者であったということを自覚していない人が、運よく社会に受け入れられてしまえばそれは増長し、嫌味な感じで自分の社会の価値観を押し付けようと必死になるし、自覚している人が受け入れられたならば、きっとより温かい社会になっていくのだと思います。もちろん、私のように社会不適合者の自覚があって、広く社会には受け入れられないままどうにかこうにか存在していることもあるでしょうし、自覚していないまま受け入れもせず、ますますこじれていくこともあるのかもしれません。

 

友人にはここまでの説明ではないにしても、その多くが社会不適合者であることを伝えると、なんとなくのニュアンスは理解していたように思います。

ついでにいえば、私は社会不適合者なだけでなく、社会不適合声だし、社会不適合顔だし、と自嘲的に言うと、アハハハと、また馬鹿にしたように笑っていたので、やっぱりこいつは心底馬鹿にしていやがる、と確信しました。こういう社会には適合している私です。