クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

ディスイズ〇

夏の終わりか秋のはじめか、それくらいの時期に、出張ついでに寄ろうと思っていた友人夫妻が、一足早く夏も盛りのお盆にこちらにやってきました。奥さんの実家は私の住む街の隣県なので、里帰りの何日かのうちの1日を空けてくれたようです。娘の〇ちゃんが1歳半になり、長時間お出かけをしてもなんとか大丈夫だということがわかってきた頃だったからかもしれません。 

 

待ち合わせたのは友人の実家がある県の大きな街で、でも私の家の方が近いところです。少し、といっても1時間近く早く着いた私は、喫茶店で本を読んで時間をつぶしました。そんなに早く着いたのには特に理由はありません。ただ家を出る準備ができたので家を出たら1時間早かっただけです。

 

大雑把に、駅、ということ以外に特に待ち合わせ場所を定めるわけでもないので、広くて人が多いこの駅ではなかなか出会えませんでした。この街には慣れていません。

ご当地ものを食べたいとのことで、季節感なく熱いうどんを求めて歩きます。実家がこの街と同じ県にある友人でもなく、家がこの街に最も近い私でもなく、縁もゆかりもない友人が案内するといういびつな昼食です。

 

前回〇ちゃんに会ったのは半年ほど前、1歳の誕生日にほど近い日でした。その時は友人夫妻の家を訪ねたのですが、お互いのアクションに反応し合う遊びをして、友だちになりました。1歳半の子が半年ぶりに会う、ということは、たとえば30歳の人にしてみれば10年ぶりの再会にも等しく、もし私が20歳の時にはじめて仲良くなった人と次に会う機会が10年後までなかったら、再会の日はとてもではないですが同じように仲よくすることはできないでしょう。

友人に抱えられた〇ちゃんは、私を見るとすぐに友人の胸にしがみつき、目を閉じます。しばらくしてこちらを見ては、しがみつき目を閉じる。はじめは恥ずかしがって隠れているのかと思いましたが、どうも寝たふりをしているようです。こんな小さな子の寝たふりはとても興味深いものがありました。きっと恥ずかしさもあったのでしょうが、この良くわからない人は自分にとってどんな人なのか、それを悟られないように観察していたとしたら、とてもおもしろいです。はじめは〇ちゃんがこちらを覗くたびに何かしらの反応をしてみたのですが、どうもじっくり観察したいのではないかという雰囲気を感じたので、あえて気がつかないふりをしてみたりもしました。ずっとそんな繰り返しだった〇ちゃんも、ほとんど食事も終わった頃にようやく観察も終了したのか、自分のご飯を食べ始めました。 

 

その店を後にして、カフェを探し歩きました。〇ちゃんがてくてく歩いているのを見ると、〇ちゃんの意思が感じられるてもう立派な〇ちゃんです。途中、柱のまわりをまわる〇ちゃんを追いかけたり、途中で逆回りにして〇ちゃんを驚かせたりしながら、にこやかな時間でした。

どの店もいっぱいで、店選びはなかなか一苦労しました。ようやく見つけた店もすべてイス席だったので〇ちゃんには不向きなのかもしれなかったのですが、贅沢は言っていられませんでした。

 

一息ついたところで、〇ちゃんもなんとなく慣れてきたような気がしたので、お土産を渡しました。絵本を2冊とハンカチです。絵本は以前、慣れない駅で20分ほど時間をつぶすことになった際に寄った本屋で見つけました。1冊は〇ちゃんの〇の絵本、もう1冊は以前選んだ絵本と同じシリーズのものです。ハンカチは、お祭りに連れられて行った際に、人を待つ時間をつぶすために寄った風呂敷屋にあったもので、私は和風のハンカチが好みなので自分用のものを探していたのですが、柄がいかにも〇ちゃん、あるいは友人を思い起こさせるものだったのでつい買ってしまいました。

 

少しずつ〇ちゃんが私を受け入れ始めてくれたようで、友人の財布に入っていたシールを私の手に貼ってきたので、それを〇ちゃんに貼り返し、〇ちゃんはそれをまた私の手に貼り、また貼り返し、という遊びをしました。このように直接のやりとりができるようになってきたので、思い切って〇ちゃんをだっこしてみようかと思いましたが、それはまだ〇ちゃんは許してくれず、友人にしがみつき、何度かのチャレンジが失敗に終わったのであきらめました。

やがて〇ちゃんは抱えられていた友人の腕から飛び出し、なぜか四股を踏み始めました。私はそれに合わせて地面が揺れて体が上下に動く様を表現すると、〇ちゃんは笑顔でまた四股を踏みます。それがいたく気に入ったようで、ついにはどすこーい、と言うのではないかと思うくらいに何度も四股を踏み続けました。 

 

私と友人がちょっと真面目な雰囲気のする話をし始めると、〇ちゃんは友人と散歩に出かけました。好きに動き回る〇ちゃんを見て大きくなったなあ、とふと思いました。

 

 

〇ちゃんは純粋に本来の人間らしさばかりでした。

それに比べて、なんでこんなに大人はねじ曲がっていくのだろうかと、自分自身を振り返って、そう思いました。