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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

気体から個体になること

昨年夏に公開された映画、私は当時観に行こうかとても迷っていました。前評判も高く、私も興味がある分野の映画でしたので注目していましたが、結局観に行きませんでした。理由はこの作品の監督の映画が3作ともに高評価を得ているのですが、私はどれもこれもおもしろいと思えなかったからです。

その映画が早くもテレビで放送されるとあり、録画して、時間が取れる時にじっくりと観てみることにしました。

 

ああ、本当に映画館に行かなくてよかった、わざわざ録画してまで観ることはなかった、もう二度と見ることはないだろう、残念ながら私にとってはそういう作品でした。

 

この監督の作品は、いつも家族がテーマとなっています。特殊なあるいは歪な家庭環境で暮らす登場人物たちが、様々な障害・困難を乗り越えて、家族(あるいはそのまわりの人たち)との関わり方を模索していくというような話です。私はどうも苦手です。私自身が親になればまた見方も変わってくるのかもしれませんが、今のところどうしても夢中になれません。

しかし、その大前提を差っ引いて考えても、やはり不満です。その中でもあえて良いところをあげておくとすれば、映像がとてもきれいであったことと、一部で批判されていた役者が私にとってはとても良く感じられたことでしょうか。

 

 

私が残念でならなかった点は細かく挙げるといくつもあるのですが、もっとも大きな要因は二つです。

 

一つは説明しすぎていること。

すべて登場人物たちがセリフで説明してしまっています。映像表現の素晴らしさは時として言葉を必要としないことです。その視線一つで、その表情一つで、その動き一つで伝えることができる内面。それなのにすべて口に出させてしまっては台無しというものです。

 

もう一つは欲張りすぎていること。 

主題は父と子のはずなのに、クライマックスをそこに持ってきません。あの関係もこの関係もみんなまとめて詰め込みたい、という思いが溢れていて、その一つひとつがとても雑に描かれているように思えてなりませんでした。蛇足、という言葉がまさにピッタリです。

 

その二つがかけ合わさって、実に薄っぺらい表面的なものに終わってしまったように思いました。そういう作品にはそういう作品のテイストというものがあるだろうと思うのですが、きれいな映像と力のある役者というこの作品の良さが、むしろ内容の薄さを際立たせ、逆効果になってしまった感すらあるのです。

 

作り手が過不足なく想いをすべて伝えきりたいという気持ちの表れなのかもしれませんが、それが実に野暮ったくなってしまっている。それよりも、もっと観る側に任せてほしい。もっと信じてほしい。もちろん観る側がすべてを感じ取れたり、読み取れたりするわけではないけれども、もしそうだとしても、それが繰り返し観る原動力となり、その作品がより深く愛されていくことになるのだと思います。

 

 

どんなに理屈を並べても結局は観た人がどう感じたかが大事なので、もちろんこの作品を高く評価する人もたくさんいていいと思いますが、私にとっては久しぶりに心を乱される映画でした。