読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

ローリング・ディスカバリー

久しぶりの野球観戦となったのは、招待チケットが余っているということで知人に2枚もらったからです。しかしてこの2枚というのが曲者です。ここのところ、どこかに出かけるときは一人で行くのが基本となっていて、食事は複数人で行くことはありますが、それこそ野球もここ5年ほどでたしか2回観に行っていますがどちらも一人、年に5本前後くらいのペースで観ている映画もそのほとんどは一人、まれに行く美術館にも一人です。そんな暮らしにすっかり慣れ切ってしまっているため、二人で行くというだけで少し気後れしてしまいます。だからといって、せっかく2枚もらったんだから、誰か一緒に行ってくれる人を探さないといけないし、むしろこういう機会に感謝しなければ。

 

平日の試合だったのでその時点で行く人を選びますし、会場へのアクセスも考慮しなければなりません。そもそも友人・知人が少ない私は、こういうときとても困ります。しかし、先日いろいろと手伝ってくれて、私を癒してくれた知人にお礼もしておきたかったので、とりあえず声をかけてみました。都合がつくかどうかもそうですが、そもそも野球に興味があるとは思えなかったので、さほど期待せずにいたのですが、意外にも行きたいとの返事がありまして。

 

当日は最寄りの駅で待ち合わせをします。きっと時間より早く着いているのだろうなと思い、私も少し早目に行くと、やはりほとんど同じくらいのタイミングで駅に着きました。

 

知人が持っていた紙袋は私へのプレゼントでした。

 

人から何かをもらう機会はそんなに頻繁にあるわけではありませんが、まれにそういうことがあったとしても、私は少し複雑な想いになることがしばしばあります。たとえば誕生日の近くに何かしらの用事で幾人かが集まる機会があったときなどには、気を遣ってプレゼントを用意してもらったりすることがありますが、良くあるパターンとしては、わかりやすく私の好きな分野のものを選んでくれます。ただ、私はそもそも物欲があまりない方で、身のまわりに物がたくさんあることに対して必ずしも肯定的ではなく、好きな分野に関する物でさえ、さほど欲しいと思わないことが多い、あるいは好きだからこそ要らないということもわりと当たりまえのようにあり、たいていそういうことになります。物が増えてくると不要ならものからどんどん処分したい気分になるときもあります。そんなとき、自分が買ったものは気に入らなければ捨ててしまえばいいのですが、人からもらったものはそこに意味があるので捨てられません。悲しいかなそれが不要なものであっても、なかなか踏ん切りがつかないものです。

もしかすると多くの人も同じような気持ちなのかもしれません。そうでないと、私がいかにも冷たくて面倒な人間であるかが目立ってしまいますから、そうであることを実は希望しているのですが、それはともかくとして、自分がそうであるからか、人に物を贈るというのは非常に難しく、困ったらお菓子という無難な選択に落ち着くことがほとんどです。そうでない場合というのは、わりと贈る相手の感覚的な部分をなんとなく想像できる場合がほとんどです。そして、そういう相手というのはただでさえ少ない友人たちの中でも本当に稀です。

 

さて、その紙袋には包装されたスリッパが入っていました。それは、私をいたく感激させました。

 

私が借りている作業場にはもともと備え付けのスリッパがあるのですが、私はそれを使いたくなくて自分で気に入るスリッパを用意しようと思っていました。しかしなかなかいいものが見つからず、とりあえずつなぎとしてその辺に売っている安いスリッパでやり過ごしていました。結局そのつなぎスリッパは1年も使うとすっかりくたびれてしまって、いよいよちゃんとしたものを買わなければと思い、そう思い始めてからも結局もう2年以上が過ぎています。知人が作業場に来た時、もちろんその日はみじんもそんな話はしていないのですが、どこか気になっていたらしく、この機会に合わせて用意してくれていたようです。

 

私好みの和テイストであったこともそうですし、特別祝ってもらうような日でもないにもかかわらず何気なく用意してくれていたこともそうです。そしてなにより、私が潜在的にもっとも欲しているものを感じ取ってくれたこと、つまり、そういう想いの巡らせ方ができる人であるということが何とも素敵な気持ちにさせるのでした。

 

野球の前から、もう楽しい時間になりました。