クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

徳不孤 必有隣

頑固、と言われることがよくありますが、私自身はさほど頑固ではないような気がしています。基本的に人に合わせるし、断ることも苦手で、Noと言えない日本人は私です。

 

前職のおよそ5年間は、日常的に喜怒哀楽が入り混じった日々ではありましたが、喜や楽はもちろんのこと怒や哀も含めて良い時間でした。満足のいくパフォーマンスが最大限に発揮できたかと言うと決してそうではありませんけれども、自分自身に対してはあまり後悔はないいますか、それがその時点での私なのでその時にはどうしようもないという感じです。上を見ればきりがなく、下を見ても仕方がなく、とにかくその時のそれがすべてだという感じです。

ただ、2つのこと、それは私自身のことではなく、まわりの人間に関することについて、どうにも整理がつきません。それを想うといつも無力感に苛まれます。この2つに関わる一切の事柄について、私は他人も知人も私自身も、とてもシビアに評価します。

 

こういった態度がこの2つ以外のことでも随所にみられるのかもしれませんが、そうだとすると、それが私が頑固と見られる要因なのでしょう。

 

さて、ずっと引っかかっていた2つのことのうちの1つに関して、ようやく私ができることがでてきました。そのことが起きてから4年ほど経って、ようやくです。

 

 

何の縁かその人は私の生まれ育った街にやってきました。その人には期待された役割がありました。しかし、その人がやってきた時点ですでにほとんど絶望的な状態でした。それでもその人は愚直にも責務を全うしていました。目先の小さなことにとらわれることなく、長い目でその先を見据えていました。遅れること1年、私はその街に戻り、その役割の一端を担うことになりました。なにができたわけではないけれども、見据える先は同じくしていました。4年ののちには、わずかながらも私が実感できるほどには確実に状況は上向いていました。その矢先、その人は遠くの権力者と近くの権力者の醜く賤しい言動によって排斥されました。半年後、悔いを残したまま私も他の仲間も自らの意思で去りました。

 

その街に来ることは二度とないというほどの怒りと悲しみに暮れていたその人に、少し変化が訪れたのが昨年末のことでした。その変化は歓迎すべきもので、この機を逃してはならないと思ったのはおそらく私だけではなかったと思います。しかし、その機を逃さないようにまずもって動いたのは、普段は動きの遅いはずの私でした。

年が明けて1月、もう一度その人に会う場があったので、そのときに大雑把にも依頼をしました。私が公式の場をつくるからその街に来てほしい。その人は、穏やかに、しかし、ほんの数か月前まで頑なだった態度が軟化した理由を自身に再度納得させるかのように言葉を選びながら承諾してくれました。

 

3月には大まかな設定が決まり、7月頭に迎えることになりました。決まればそれからはそれが生活の中心に、あるいは心の中心に据えられます。年度の変わり目で、他の仕事もいくぶんか動きがあった中でしたので、変化に弱い私としてはわりと目いっぱいな期間になりました。直前の1ヶ月は、もうほとんどそれのことしか考えていませんでした。

 

当日を迎え、その空間とその時間がたくさんの人たちにとっていかに特別であるかがひしひしと伝わってきました。もう少し正しく言えば、動き出したその時からたくさんの人たちにとって特別な機会であることが伝わってきて、本当に自然と流れるように様々なことが動き、そして当日、さらにたくさんの人が集まることでその空気が如実に表れました。

 

翌日、その人はとても穏やかな表情をしていました。

これまでのその事に関するわだかまりが、すべてとは言えないかもしれませんが、ずいぶんと軽くなったことが見て取れました。

それを見て頑ななまでに固執していた想いが幾分か軽くなりました。

 

私がこれまで携わってきた仕事の中で、もっとも私にとって価値のある仕事になりました。

頑固だからこそできたのかもしれません。

そもそも仕事とはそういうものなのかもしれません。