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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

遠近法

人と人の距離感は難しい。
この問題から未だに逃れられないでいます。


人と人との関係を円滑にしていくためには配慮や遠慮がどうしたって必要です。それでいて、場合によっては遠慮しないという配慮や、配慮しないという遠慮もあったりします。遠慮しない配慮は遠慮がないこととは違うし、配慮しない遠慮は配慮できないこととはまた違います。そして、そのさじ加減が適切かどうか、あるいは快適かどうかというのは、あくまで人と人との感覚的な問題です。


私は比較的、他人との距離を遠目に置くことで、なんとか自分自身を安定させている傾向にあるので、急にその距離を破って近くに来られるととてもストレスが溜まります。
私の場合はそうですが、またある人にとっては、むしろ早めに近くに入れておくことで相手を満足させ、本当にコアなところには踏み込ませないぞ、というスタンスの人もいると思います。そもそも、そんな距離感などまったく気にしない人もいるかもしれません。
さておき、私は距離を取りたいのですが、もちろんずっとその距離のまま近づけないというつもりもありません。むしろ、近くの距離に入ってきてもらいたい思っています。ただし、そのスピードや近づき方、近づく課程が合わないと、あるいは一方的だと感じられてしまうと、余計に距離を取りたくなります。そういった実に面倒くさい性質を持っています。自分自身、嫌な性質だなと思うのですが、理屈ではわかっていても感情が支配する部分なので、どうにも治りそうにありません。


若いうちは自分の事しか見えないので、自分の中での距離感しかわからないから、仕方がないと言えば仕方ありません。歳を重ねるうちに少しずつ人の距離感と自分の距離感の違いにも気が向くようになってきていることも自身の実感として確かにあります。そう思えば、若い子がその距離感がつかめなくても責めることはできませんが、どうしても不快に思えてしまうし、どうしてもストレスが溜まってきてしまい、それはそれは一方的な私の都合で、その関係性が少しずつ歪になっていくように思えて、それがまた輪をかけて私の気持ちを重くさせます。適正な距離が保たれてこそ両者がそれなりに快適でいられるということがあるのです。そのための配慮だし、そのための遠慮です。
しかし、それはあくまで私の感覚なのであり、それを相手に求めることもできません。
それがこの問題をとても難しくしています。相性の問題というアンタッチャブルな次元で解決を目指すしか、今の私には術がありません。


さて、もうすぐ配慮も遠慮も何も意識しなくていい友人たちに会うことができます。
私の人生の最大の喜びです。