クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

3度目の正直の前の2度目

私が初めて勤めた会社の社長は、その時すでに70手前くらいの歳でした。
その世界では名実ともに偉大な存在なのですが、私自身はもちろん名前は知っていたし、大まかにどんなことをした人なのかは耳にしたこともあったのですが、正直なところどんな人なのかはよくわからないままでした。

 

私が配属された部署の長は、社長が三顧の礼をもって迎えた人でしたし、私と同じ日に同じ部署に配属され、昼夜を問わず一緒にいた人もまた、社長が呼んだ人でした。そんな環境で仕事をしていたこともあり、直系という言葉が正しいかわかりませんが、私は勝手に社長からのそのラインに入ったつもりでいましたし、今もそれは変わりません。

 

ずいぶん距離の近い社長です。わりと小さい会社でしたから当然と言えば当然かもしれませんが、なにより本人のスタンスによるところが大きいと思います。とてもコミュニケーションを大切にします。面談はもちろんですが、こまめに食事会も開き、いろんなメンバーをそれぞれに読んで、ご飯を食べたりお酒を飲んだりしながら、話をしたり、話を聞いたりしていました。

 

人を育てるということをとても重要視しています。しかし、仕事の面で何かを言われた記憶はありません。自由に何でもやらせてくれるし、いちいち細々と指摘をしたりはしてきません。おもしろいことに部署の長もそういう人でした。その代わり、大きな方向性や考え方などはことあるごとに話をしていました。それは内部に対してもそうだし、外部に対しても同様です。個別に話をするときも、全体に対して発信するときも、そこには一貫性があり、言葉や表現は違っても繰り返し発信されるメッセージが確実に私たちに積み重なっている感覚がありました。そして、それに向かって、全員がとは言いませんが、多くの人が共感し、共鳴し、一つになろうとしていました。


私がその人のもとでの仕事にあたったのは4年と5カ月という短い期間でした。本当はもうしばらくは一緒に仕事ができるはずだったのですが、これが政治というものなのでしょうか、これが権力というものなのでしょうか、とても悔いの残る終わり方となりました。それから5か月後、私はその会社を去りました。


さて、3年と少しが経ちました。遠く沖縄で、その方の講演会が行われることになりました。もちろん、それは当時の仲間が企画したものに他なりません。私は当たり前のように講演会を聞きに、というよりもその方に会いに沖縄へと向かいました。

 

その企画は金曜の夜と日曜の午後の2回の講演会だけでなく、土曜は各種体験プログラムと懇親会、日曜午前は施設見学と盛りだくさんで、それらにその方も一緒に参加することになっていました。それは同時に、企画を運営する沖縄の仲間を私が手助けすることができる機会であることを意味しており、そのことは私にとっての喜びでもあることを、その仲間は知っているのでした。


生涯2度目の沖縄です。
学生時代に訪れた、友人たちと2泊3日の旅行は台風でした。
あれから干支も一回りしました。
今度は3泊4日。50年に一度と言われる寒波で、みぞれも観測されました。
私は天候とは正反対でした。