クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

鐘が鳴る

この季節、柿畑の横の道を通るといたるところで無人販売が行われています。

1袋に柿が5つほど入って、小さなスペースにずらりと並んでいます。

横には100円と書いた缶が置かれています。

 

この時期、柿はもちろんスーパーなどでも扱われていますが、無人販売の柿はずいぶんと安いのに味もよくてかなりお値打ちですし、そもそも無人販売の雰囲気がなんとなく好きです。

 

先日、その道を通ったついでに柿を買うことにしました。道端に車を停め、缶に100円を入れ、おいしそうな柿を一袋。車に戻ろうとしたときに、少し離れたところから声がかかりました。その柿畑で作業中だった奥さんです。柿を一袋手に持ってこちらにやってくると、形悪いけどよかったら持っていって、と。え、いいんですか、ありがとうございます、と言っていただきました。見ると、たしかに柿のほっぺにもう一つ小さい柿がついたような形が歪なものもありましたが、それ以外は不揃いというほどでもない柿たち、むしろ、形が悪いようには思えない、いたって普通の柿たちが集まっていました。

 

その日の夕食後、さっそく柿をたべながら、私はそのおいしさにささやかな喜びを感じながら、また別のことも考えていました。

その筋についてはまったくの素人なので、どこまで正しいかはわかりませんが、無人販売に並ぶ柿が無人販売に並ぶ理由は、おそらく味の問題ではありません。流通の仕組みが発展するにつれて、規格が整備されていきます。大きさや形、色などは、その重要な要件です。大きさが合わない柿、形が歪な柿、色合いがよくない柿は、その流通の仕組みからは除外されることになるのでしょう。どうなるかと言えば、自分たちで食べたり、ご近所さんにおすそ分けなんてこともあるでしょうし、その流通の仕組みではないところでの販売ということになるのだと思います。その一つの形が道端での無人販売です。そう考えると、なんとも味のある柿たちではないでしょうか。その味も柿の持つ本来の味に重なって、より一層おいしくいただけるような気すらしてきます。

 

さて、そんなことを考えながら、1年ほど前に見たテレビを思い返していました。いちごの話でした。あまりちゃんと覚えているわけではないのですが、いちご一粒がとても高い値段で売られているという話で、そこにはもちろんいちご自体の品質もあるのでしょうが、実にオシャレにデザインされたパッケージに入っていたり、少し物語性も加えていたのかそうでなかったかは記憶があいまいですが、いずれにしてもブランディングに力を入れてそのものの価値を高めている、というような話だったような覚えがあります。もちろんそれは素晴らしい取り組みと言いますか、少なくとも肯定的な捉え方で構成されていて、総じて、農業もただ作って売るだけではなく、そういった工夫をしていく必要があるという論調だったでしょうか。

 

私はそれを見ながら、これに価値があると言われてもまったく理解できないと思いながらも、結局のところ価値なんてのは人それぞれに感じるものだから、それに価値があると思う人がいればそれでいいのかとも思いつつ、もちろん農業だけでなく様々なものがそういう考え方の中にあることに少し疲れる感じがしました。

 

 

無人販売の柿とブランディングされたいちごは、おもしろいほどに両極端な例だと思います。それぞれの良さがあるのですが、私は無人販売の柿が好きです。