クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

ぐにゃぐにゃ

この夏、陶芸体験に行きました。

忘れたころに焼きあがったコップとお皿が届きました。

 

少し歪んだコップは思ったよりも小さかったのですが、ちょっとコーヒーが飲みたいなという時に、いつも使っていたコップよりも贅沢な感じがします。

家にあるお皿では大きすぎたり小さすぎたりすることがままあり、間のサイズが欲しいと思ってつくったお皿は申し分ない大きさだったのですが、思いのほか重宝していません。それでも何度かは使っていますが、そのうち使う機会ももう少し増えていくかもしれません。

 

 

最近、物の価値についてふと頭によぎる瞬間があります。あまり深く考えたいとも思わないのですが、よくよぎるのです。

 

人の危機感を煽ったり、恐怖心を与えたりすることで、そのモノが必要であるように思わせたり、とても価値のあるモノであるように思わせるという手法はいたるところで見受けられます。除菌とか消臭とかそういった商品のCMなんかは露骨にそういうもので、健康に関しても同じような仕組みで脅すものがたくさんあります。そういうのを見るとなんだかちょっと嫌な気分になったりもします。とはいえそのあたりはまだ許容範囲として。

 

一番嫌な気持ちになるのは、何と言っても人です。今は発信しようと思えばだれでも広く発信できてしまう時代なので、実際に会わなくても、やたらと溢れてきているそういう表現が目に入ってしまいます。警笛を鳴らすのは別にいいのですが、それによって自分の価値を表現しようとするところまでいくと、もうどうにも抗えないほどの嫌な気持ちにさせられます。そういうやり口が性に合わないのです。さらに、その表現者、発信者が、私が信頼している人とのつながりが深い人であったりすると、その感情をどう処理していいのか、まったくもってわからないのです。

 

私たちの暮らす社会には、おそらくまだ謙虚さという美徳がありますし、私にとってはまだその美徳美徳として存在しています。その対極にあるように思えるそういう人たちに会ったり、話したり、あるいはそういう表現に触れたりするのが嫌で嫌で仕方がありません。

 

 

 

自分で作ったコップとお皿はたいした価値はありません。

たいした価値はありませんが、たいした価値がないものでいいのです。

高価だと言われるものほど扱いづらいので。