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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

満天マウンテン

2日間の出張は、二つの組織が開催する全国ミーティングのようなもので、参加者はほぼ全員がどちらかの都道府県あるいは市区町村の組織に所属する人たちです。参加者名簿をのぞいてみても、全222人中、それらの組織に所属していない人はわずか3名という、きわめて内輪の会議です。私はその3名のうちの一人でした。

 

私は、地元のその組織と一緒に仕事をする機会があり、今後の展開も考えたときに、その組織の方からぜひ行ってきてほしいということで参加することになりました。とはいえ、行ってこいと言ったその組織からの参加者はなく、完全アウェイの地に単身派遣されたというわけです。

 

初日は、全体会のあとに分科会がありまして、それが終わると立食形式の懇親会へと移ります。

ただでさえ懇親会みたいな場に苦手意識を持ってしまっているというのに、メインフィールドが違う私は、誰一人として知り合いがいないという状況で、戸惑いながらどのテーブルが比較的入りやすそうかを十分に観察してから近づきました。

 

同じテーブルにとても気が利く方がいました。

こういう場には必ず何人かは細やかな気遣いをみせる人がいます。しかし、わりと形式的な気の遣い方というのが一般的になっています。なんとなくだれかがその形式にのらなければならない空気感がどうにも苦手です。私はそもそもそんなに気が利く方ではない上に、その形式がどこかこっぱずかしくて、わかっていてもやらないという場合もよくあります。少しは反省したほうがいいのですが、このあたりも人付き合いの下手さと関係があるのでしょう。私のことはともかくとしても、そういう気遣いをする人に対しては、がんばってるなあとは思っても、気が利く人だなあとはあまり思いません。

さて、あらためて、同じテーブルにとても気が利く方がいました。

私と同じくらいの歳ではないかと思うのですが、もちろんはじめは、形式にのっとった気遣いかと思っていたので、いつものように、よくがんばってるなあと、どこか冷めた目で見ていたのですが、そんなことを思った自分が恥ずかしくなりました。

 

わかりやすく説明できるような気の遣い方なら、それこそ形式化されているでしょうから、なかなかうまく説明することはできませんが、一つひとつの質が高い上に、そんなことまで気がつくのかというほどの視野の広さ、それでいて、ほどよく自分のこともしています。最後の方は、その人の気遣い観察をしてしまいたくなるほどでした。

 

翌日は、午前中に分科会、昼食を挟んで午後から全体会がありました。私は予定が入っていたので、午後の全体会には出られません。

分科会は、懇親会での気遣いの人と同じでした。そのまま分科会の会場で昼食となったので、その人と一緒にお弁当を食べることになりました。まだ全体会が始まる前、分科会の会場を借りていた時間が来てしまったようで、なかば追い出されるように部屋を出ます。

私はここで岐路へ着くのですが、その前にもちょっとしたことでごちゃごちゃしている私に対して、そこまでの準備があるのか、というくらいの行き届いた気遣いをしていただきました。最後の最後まで気の利いた人でした。

 

もちろん、会議自体も行く前に思っていた以上の収穫があったのですが、それよりなにより、この気遣いに触れられたことは、それ以上の収穫です。

私はそういう人にはなれそうもないけれど、そういう人がいるということが何よりうれしかったです。