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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

海のコーヒー牛乳

出張ついでに前日入りして友人宅を訪ねたあとに向かったのは、もう一人の友人との食事です。

 

大学時代の同期で、卒業後はなかなか会う機会がないままでしたが、去年の秋口にまた別の同期の友人の結婚式で再会、さほど間を開けることもなく、もう一人の友人も交えて食事をした際に、あまりの心地よさに当時の感覚が一気に蘇ってきました。

その後も時々一緒に食事をしたりしていましたが、毎回楽しい時間を過ごしています。今回もまた運よくタイミングが合ったので食事に行くことになりました。

 

 

さて、移動しようと駅に着きました。おそらく友人は予定の時間よりも早めに着くような気がしていたので、それに合わせた時間です。ホームで電車を待っているときにメールが来ました。やはり少し早く着くようです。それに返信しようとしているときに電車が来たので、そのまま乗りました。思っていた方向と反対へ動き出しました。

不幸中の幸いといいますか、同じ線の反対方向ではなく、違う線の同じ方向だったので、多少時間はかかりますが、予定していた時間ちょうどくらいには着きそうです。

 

待ち合わせは駅から出てすぐのところです。2,3分前に駅に着き、急ぎ出口へと向かっていたのですが、なにせ大きな駅で、出口もたくさんあります。何口かはわかっていました。その表示に沿って歩いていたのですが、気がつくとその表示がなくなり、別の出口の表示ばかりになっています。駅の構内で迷子になりそうでした。それからおよそ5分ほど歩きまわってようやくたどり着いたころには汗だくでした。

 

友人は私に会うと軽い挨拶もなしにさらっと話し始めるのですが、それにも慣れてきて、きっとそうだろうと思っていくと、やはりそうでした。

 

いっぱいで入れないかもしれないという不安を少しだけ持ったまま、いくらかまちを歩いて店に着くと、広くない店内にはまだ2組の客がいるだけでした。

 

シーザーサラダとコブサラダがあったのですが、店のおすすめがコブサラダだったのでそちらを選びました。運ばれてきたときに、ちょっと気になったので、コブサラダの名前の由来を尋ねたところ、シェフに聞いてくれていました。キッチンのすぐそばの席だったので、そのやりとりを見ていましたが、どうやらシェフもわからないらしく、その店員さんはもう一人の店員さんと一緒にタブレットで調べてくれました。

きっとwikipediaかなにかでしょうか、店員さんはタブレットを持ったままこちらの席にやってきてそのまま読み上げてくれました。お手間とらせてしまってすみませんね、と言うと、こちらも勉強になりました、と。

 

こんな具合に、私はわりと店員さんとたまに話をしてしまうので、同席している相手には少し恥ずかしい思いをさせてしまうこともあります。ですが、ついやってしまいます。一人のときはこんなことはしません。おとなしく、むしろ暗いくらいに食事をするだけです。もともとは、そういうことをしてしまう人であるというレッテルを貼ってもらうことでわかりやすく自分の居場所を作り出すということに端を発していると思うのですが、それなりに関係性を築いている場だからこそやってしまうという面もあります。

ともかく、すぐに友人にも謝りました。そして、ついこうしてしまうのは、そこにいる人たちへのサービス精神からだ、と説明したところ、友人は、サービス精神というよりサービスされたい精神じゃないか、と。自分では思いもよらない角度からの指摘でしたが、それでいて確かにその通りかもしれないと思いました。

 

さて、話をしていると私の声をなかなか聞きとってもらえないのが日常ですが、ここでもやはりそうでした。特に雑然とした音が響くお店の中ではなおのこと。友人たちの間ではすっかり定着したネタになっているのでいまさらなのですが、特に語尾が聞き取れないことが多いということでした。友人は、一般的に自信がないときに語尾がはっきりしないことがあるという話をしました。それを受けて私は、たしかに自信がないのは間違いない、と言うと、その言葉ははっきりと聞こえたようで、自信がないことには自信があるんだね、と言いました。まさにその通りでハッとさせられました。これまで何一つとして自信を持てることがないと思っていたのですが、あったのです。矛盾かどうかの瀬戸際の部分に自分に合う解釈が残されていたのです。

続けて友人は、なんとか私の自信が持てそうなことを探そうとしてくれていたのか、私が好きそうなものを挙げながら、これは?これは?と聞いてくれました。その都度、そうでもない、自信がないと言わなければならないことが少し申し訳なかったのですが、そう答えながら考えたのは、自信がないという言い訳を残しておくことでその分野におけるダメージを軽減しようという卑怯な構造ではないかということで、幾分情けなく思いました。

また、友人がいくつか挙げる中に文章を書くことが含まれていたのは、私への理解がわずかでも深まっている証かもしれません。

 

その店を出ると、喫茶店を探します。

基本的にはリアクションの会話をする私ですが、少し話の流れを変えてみました。

私は以前、別の友人から、もっと自分のことを話さないと、と言われたことがあります。そうして人との距離が縮まるのです。

さて、友人は自分の話をすることが得意なのか、あるいは処世術としてそれを身につけたのかもしれませんが、よく自分の話をしてくれます。あんなことがあって、こんなことがあって、と。そして、おそらく人の話を聞くことは上手なのですが、その前に人の話を聞き出すことには長けていないように思います。きっと私と正反対の面で人との距離を縮められないのだろうと思いました。

私にとって急に自分の話を切り出すのはとてもとても難しいことです。そこで、まずは両者が互いに話ができるような題材の質問をすることで、その展開上で私自身の話もあてこんでいくという手段を試してみました。ちょうどうまく流れにのれる話題になった頃、少し角度を変えてみました。友人はそれに対して、近況や考え方を話してくれました。そこから、思い切って私のことも話してみました。友人と再会してからすでに3時間が経とうとしていました。

スロースターターの私にしては、それでも早い方かもしれません。それからは互いの話の塩梅が良くなってきたように思います。

 

世間一般で認識されているものの考え方の中には、本来は個々の認識とはそこまで一致していないのではないかと思われることもたくさんあります。しかし、人は一般に寄せて認識するという習性も持ち合わせるため、いつの間にか本当にそのようになってしまうことも多いはずです。また、一致していないことを公にすることも憚られるという感情もまたあります。

私はあるトピックについて、世間一般からは少しずれた感覚があります。それについて誰かに向かって具体的にこう感じている、こう考えている、こういう価値観であると話したことはおそらくありませんでしたが、その友人にその話をしてみました。友人も同じ感覚ではないにしても、世間から少しずれているという意味では似たり寄ったりでした。そして、周りからいわゆる世間一般の認識で話を進められる時、やはりそれが多少なりとも煩わしく思うようでもありました。

 

そういう話をできたということは、私にとっては大きな一歩なのかもしれません。

確実に歳を重ねていることを実感しました。

 

喫茶店から駅への道はあっという間で、待ち合わせの場所まで来ては、それぞれの電車へと向かいました。