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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

まるみを帯びたままで

先週のことです。

出張で、昔過ごしたまちの近くに行く機会がありました。2日間の仕事の予定です。前日入りができることになったので、友人たちに会う予定を2件入れました。計3日、計3件の今回の遠出は、揺らいでいる今の私にとって、これでもかというくらいに次から次へと適度に揺らしてくれました。

 

 

朝、一つ用事をすませてから電車に乗ります。昼ごろに宿泊先に荷物を預け、いよいよ6年ほど過ごした第二の故郷へと向かいます。物理的にも心理的にも軽くなった気持ちでまた電車に乗ります。

 

向かった先は、友人夫妻のお宅です。大学時代の友人同士、しかも私とはかなり近い距離にいた二人です。二人はもちろんのこと、今では生まれて5ヶ月の娘さん、〇ちゃんといいますが、ちゃんに会うのも楽しみの一つとなりました。

 

奥さんは用事があるため夕方ごろに帰ってくるとのことで、それまでは旦那さんと〇ちゃんはお留守番です。私が昼過ぎに着く予定でしたので途中で昼ご飯を買っていくことになり、最寄駅の近くのデパ地下に寄りました。

いろんな店をのぞいては、選り取り見取りのお弁当から、さて何にしようかと迷いながら、ふと気がつきました。学生時代、あれだけ一緒にすごしていたのに、よくよく考えるとあんまりこれが好きだっていう食べ物を知らないのです。肉が好きなことはなんとなく知っています。魚介類がほとんどダメだということも知っています。でも、和食が好きなのか、中華が好きなのか、洋食が好きなのか、そういえばよくわからないのです。そんなときに見つけたのが肉御膳というお弁当。これかな、と思いつつ、一応希望を聞いておこうと、肉御膳を見つめながら何系のお弁当がいいかと尋ねてみると、肉系という返答がありました。予想通りの回答で愉快でした。

 

友人宅に着くと、散歩帰りの〇ちゃんはちょうど寝ついたところだったようです。

肉御膳と、私は海鮮ちらしを広げ、〇ちゃんが泣き止まなくて2回も散歩に連れて行ったというような話を聞きながら、半分ほど食べたところで〇ちゃんが目を覚ましました。

見知った部屋に見知らぬ人物がいたことをどう感じていたのかよくわかりませんが、とりあえず声をかけて手を振ってみると、じっと見つめてきました。まだ言葉がわかりません。普段私たちが考えたり感じたりすることが認識できるのは言葉によるところが大きいので、言葉がない中で考えたり感じたりするというのは、いったいどういうことなのだろうかと不思議に思うのですが、言葉ありきで考えてしまうので理解することはほとんど不可能に近いのかもしれません。

見つめられるので、何度か手を振ってみると、そのうち不器用にも少しだけ手を左右に動かしました。そうであるかどうかにかかわらず、手を振りかえしてきたと私は受け取っています。

 

友人がミルクを飲ませようと〇ちゃんに哺乳瓶をくわえさせるのですが、飲むふりをするだけでまったく飲みません。何度か試してみるものの嫌がるばかりで、ついには泣き出してしまいました。午前中からそうらしく、友人はどうしていいのかわからず困っていましたが、なんとかあやしてはまた哺乳瓶を、嫌がって、泣いて、あやして、という繰り返しです。

そんな状態が1時間と少し続いたでしょうか。カチャっとドアを開ける音がしたとき、その場にいた3人が同じ気持ちになったと思います。

 

〇ちゃんはうれしそうにお母さんのおっぱいを飲んで、飲んで、飲みました。

勝ち負けではないけれど、父親はどうあがいても母親には勝てません。

 

 

落ち着いたところで、お土産を渡しました。遠くに住んでいるけれど、本来的には訪ねる時にお土産を持っていくという間柄でもないのですが、ついあげたくなってしまう年頃なのです。絵本を2冊と、歌集を1冊、そしてモンブランです。

 

〇ちゃんはじめ、ここ数年は私のまわりの友人たちに子どもが生まれているので、書店に行くと、たまに絵本コーナーが気になります。

ひと月かふた月ほど前、何気なく絵本コーナーを見ていたところ、これは、という絵本が見つかりました。その絵本を見つけた瞬間、次に〇ちゃんに会うときにあげようと決めていました。〇ちゃんというより、友人夫妻用という方が正しいかもしれませんが、それはともかく。

友人夫妻、特に奥さんは、自由な広がりのあるシンプルなルールの遊びが好きだという印象があります。旦那さんはそれに付き合うのがとてもうまい印象があります。たとえば、しりとり。

しりとりはしりとりでもこのしりとりの絵本は一つの題材に限定されたしりとりという絶妙なさじ加減で、よりにもよってその題材が私らしさを表すものでもあったので、私が友人夫妻とその娘にプレゼントするために生み出されたものだと錯覚するほどでした。内容も徐々に加速していき、そこから先は読み手に任せる、といったもので、そういうところもまさにピッタリだと思います。

 

お弁当を買うついでに買ったのはモンブラン

友人(奥さん)と、数日前にメールのやり取りをしているなかで表現のひとつとしてモンブランを用いたのですが、ミルフィーユとの対比でもありましたが、もちろん友人(旦那さん)がモンブラン好きだったことと無縁ではありません。

お弁当を見て回っているときについでにながめたケーキ屋さんに、ちょうど3種類のモンブランがあったので、私は特に好きではない、というか、ケーキの中での優先順位は極めて低いモンブランを3種類、1つずつ買いました。

3種類の中から希望のモンブランを指で指し示し、第1希望が重なったらじゃんけんで決めるというおなじみのルールで誰がどれを食べるのかを決めました。なぜか第1希望は一本指で、第2希望はもう一方の手で二本指で指し示すという、実質的には意味のないルールも付け加えられました。さらに、友人(奥さん)が指す前にみんなが第1希望、第2希望でどれを指すかという予想をするというおまけつきでしたが、それに左右されるような私たちではありませんので、結果には影響しなかったと思います。

友人(奥さん)の予想通り、友人(旦那さん)と私の第1希望が重なりました。じゃんけんは先に3勝したほうが勝ちです。

私は3連勝しました。

友人(旦那さん)と私が距離を縮めた日というのがあります。当時、友人は遊びに誘ってもどうでもいい言い訳をつくっては来ないという繰り返しでしたが、ある時、いつものように誘うだけでなく、私を含め3人にじゃんけんで3連勝したら来なくてもいいという、まったく不当な条件を突きつけたのですが、なぜか友人はそれを承諾しました。結果、友人は見事3連勝を果たします。が、なぜか遊びについてきたのです。私たちにはなぜついてきたのかよくわからないでいたのですが、もしかすると本人にも自分の行動がよくわかっていなかったかもしれません。

そんなことを思い出しながら、あまりにあっさり3連敗した友人に、時の流れを感じました。

 

もう1冊の絵本は〇ちゃんの名前から見つけた絵本で、同じように〇を主題にした絵本は何冊もあったのですが、内容となんとなくの色合い的にこれかなという感じで選びました。

3人でモンブランを食べながらその絵本を開くと、1ページ目に大きな丸が3つありました。その色が3種類のモンブランとまったく同じ、黄色・白・茶色でした。友人(奥さん)はそういう偶然性がとてもうれしいのです。食べかけのモンブランを一列に並べて、絵本のそのページと一緒に写真を撮りました。わたしは、そういう偶然性を見つけて喜ぶ友人がとてもうれしいし、モンブランをそれぞれのところに戻す時に同じタイミングで同じギャグを入れ込んでくる友人(旦那さん)がまたとても愉快なのです。

 

 歌集は〇ちゃん用ではありません。

先日読んだ詩歌集の中で気になった歌人の歌集です。行きつけの本屋で探すとその歌人の歌集はこの1冊しか置いてなかったので、それを買い、行きの電車で読みました。帯からして友人(奥さん)に向いていたので、読んだらあげようと思っていたのですが、読めば読むほど私の手には負えない代物で、これは私が持っているべきものではないなという思いが強くなってきました。とはいえ友人にこれが本当に合うのかはわかりませんが、押しつけがましくて悪いなとは思いつつ。

 

 

と、気がつけばあっという間に時間が来てしまい、次の予定のため、じゃ、と言って友人宅を出ました。

 

〇ちゃんはいつの間にかぐっすりと眠っていました。