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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

じゅうしちじ かすかにゆれて さくらいろ

書くことに飽きたわけではありません。

書きたいことがなかったわけではありません。

しかし、しばらく書きたくない日が続きました。

こういうこと、よくありますよね。

 

ここ以外にも文章を書く機会がありまして、そちらはそちらでそちらの良さがあるのですが、少し気を遣うというか、自由気ままにその時の気分に合わせて書くということがあまり向いていないところなので、ひと段落したところで気乗りしなくなってしまいました。そうすると、文章を書くということ自体に気乗りしなくなると言いますか、なんとも歯がゆい思いをしていました。

それに連動してかどうかはわかりませんが、本を読むのも億劫になってきました。読もうと思って買った本や、知人の引っ越しの際に譲り受けた本がかれこれ10冊ほどたまっているのですが、どうしても読む気になれません。

これまでにもこういう状態になることは間々あって、そういう状態の自分はあまり好きではありません。好きなもの、好きなことを聞かれた時に、読書、とか、文章を書くこと、と言い切れないのは、このあたりのことが影響しています。

 

 

あるとき、突然、詩とか句に触れてみたくなりました。

「突然」といっても、そこに行きつくまでには当然それまでにいろんなインプットがあったのだろうと思いますが、それは後から気づくことで、思い立った時は「突然」だと思いました。変に頭を使うことが続いていて、脳みその一部分にばかり負荷をかけていたのだと思います。崩れる前にバランスをとるという、人にあらかじめ備わった能力が無意識のうちに発動されたのでしょうか、感じたことを他者に精確に伝えるための表現としては、詩や句というものに優るものはないのかもしれません。

 

思い立ってすぐ、一人の友人に連絡をとりました。オススメの詩集、句集があれば教えてほしいと。私の好みを、具体的な物や事ではなく、感覚的なところで理解しているであろうと思う友人です。

そいうえばその友人はしばらく前から俳句を始めていたのでした。参加している句会の主宰者の俳句集を教えてもらいました。結局行きつけの書店には教えてもらった俳句集が置いていなかったため買えなかったのですが、せっかくなので主宰者のブログをのぞいてみました。なるほど、相性がいいはずです。

 

オススメ句集は置いていなかったので、代わりに気軽に読めそうな詩歌集を買いました。自由な詩ももちろん素敵でしたが、俳句や短歌は形式美が相まって、より印象的でした。

 

こういう才能に触れると、日々とらわれている感覚が果たして本当に目指すべき姿なのかと揺らぎます。この揺らぎが今の私には必要だったのだと思います。そして、その揺らぎは、不思議と次々と新たな揺らぎを呼び込みます。