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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

無限にデコボコな球

文章を読むスピードが比較的遅い方だと思うので、分厚い本を読破するにはそれなりの時間がかかってしまいます。しかも、結構飽きっぽいところもあるので、途中で読むのをやめてしまうこともたまにあります。その一方で、借りた本は、面白くなくても最後まで読み切るようにしています。ということで、分厚い本を借りた場合、なかなか大変だったりするわけです。

 

先日知人から勧められた本は、私がこれまで読んだ本の中でも5本の指に入る厚さでした。好んで借りたのではなく、知人が読んだ本の中でも5本の指に入る面白さだったようで、(さらに私なら興味があるだろうという推測のもと)私に勧めてきたのでした。

はじめは何の本なのかもわからずに、でも借りた以上は早めに読んで返さねばならないと思い、しぶしぶ読み始めました。全6部・30章からなる科学史の本でした。はじめの1章を読んだだけではまだわかりませんでしたが、2章、3章と読み進めたあたりで、この本がとても面白いものであることに気がつきました。

 

今の世の中に生きる以上、科学の力を信じざるを得ないのは確かですが、かといって無条件にすべてを受け入れられるほど純粋でもなければ、何を疑ってかかればいいのかが判別できるほど賢くもなく、もっと言えば、科学の基礎的な知識すらろくに持っていないので、ただ漠然とした不満と無力さを抱えていました。科学に対して、そういう興味はあったのです。

 

読み終えるまでにずいぶんと長くかかってしまいましたし、いくら面白いとはいえ、やはりボリュームがありすぎて続きを読み始めるには毎回少なからずエネルギーを必要としましたが、そのエネルギーは無駄ではありませんでした。たとえ30もの章立てをしたからと言って、科学史全般を取り扱ったというにはおそらく乱暴すぎるのではないかと思いますが、それでも私にとっては十分に壮大さを感じられるものでした。むしろこれ以上の壮大さをもって語られたとしても消化しきれないのは明らかです。

 

宇宙のこと、地球のこと、生物のこと、人類のこと、多くのことを学校で学んできたはずなのですが、それらがどのようにして認められてきたのか、どれだけ不確実なことなのか、どれだけ少しのことでしかないのか、そういうことを科学者たちの人柄を交えながら、次から次へと興味を引くような展開で書かれているのです。

 

私たちは極々小さな存在であるにもかかわらず、過剰なまでに大きな存在であるように錯覚していて、私たちが知っていることなど極々わずかであるにもかかわらず、過剰なまでに多くのことを知っているように錯覚していることを痛感させられます。

ここで描かれる科学者たちの実にユニークで多様な個性に触れると、すべてに共通することなんて何もないことがわかるし、どんな気質や性格、環境や時代であっても、才能と好奇心と運とが見事にマッチしなければならないことは変わらないのではないかと思わされます。

 

正しいとされていることや常識、あたりまえという価値観がいかにもろいもので、にもかかわらずそれをひっくり返すようなものはすぐには認められないし、理解されないし、それどころかひどく蔑まれるし、虐げられることもあり、その人の死後に功績が認められたり、評価されることも多々ある上に、反対に賞賛されていたはずのものが、のちにまったく的外れであることに気づいたりもします。また、本人が気がついていない意味があったり、自己完結するだけで満足し、人に伝えることに価値を見出していないがゆえにひっそりと隠れていることもあったり、あるいは表現する場がないこともあれば、気がつけば別の人が名誉を我が物にしていたりもします。

そうなるともはや世の中の良いも悪いも強いも弱いも正しいも正しくないも偉いも偉くないも、すべての基準がほとんど誤差の範囲であるという世界なんだと思えば、世間の評価ほどあてにならないことはないのです。

 

なんて無意味で無価値で無益で無駄なことばかりなんだと無気力にもなれば、それでも生きていくという強さも求められているような気もして、少し億劫になります。でも、無限にも思える膨大な時間と空間の中で、今の私がいる現実感のある時間と空間は奇跡的で、少し興味がわきます。

 

生きていることと隣り合わせにある死ぬことを考えれば、すべてのことがどうでもいいと思えることも確かなのに、同時に些細なことまで気になってしまい、すべて思うようになってほしいと思ってしまうこともまた確かなことです。

 

読めば読むほどエゴイスティックな私が浮かび上がります。