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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

多勢に無勢

流行っているから買うっていう人は、年越しそば食べるよね。

 

幼少のころからの友人で、付き合いの長さでいえば2番目です。たまに一緒にご飯を食べると、そのあとだいたい本屋に行きます。おすすめの本を互いに紹介し合います。すすめられたところで、実際に読むのはその1割にも満たないのですが、参考までに聞いておきます。それもお互い様です。最後にマンガのコーナーにも寄り、これはおもしろい、これは読みたいけどまだ読んでない、これはイマイチ、これは誰々がおもしろいっていっていた、これはまったくおもしろくない、などと好き勝手に言い合っていたのですが、これはなぜ流行っているか理解できない、そんなことを言ったところ、冒頭の暴論が出てきました。

 

年越しそばは流行り廃りじゃなくてもはや伝統といった類かと思うので、ここでの例として適切かというとそうでもないと思いますが、言わんとすることはほとんど過不足なく理解できた気がします。聞けば、大晦日にそば屋に店の外まで行列ができていて、そこまでしてそばが食べたいのか、と思ったということだったので、それは確かにその通りです。

 

流行りものを否定するつもりはありませんが、流行は人の手で作られていることなどはもはや誰もが知っていることではないかと思うのです。必ずしもいいものが流行るわけではないし、流行るもののなかにいいものもたくさんあるけれど、そうでないものもたくさんあるし、流行らないものの中にもいいものもあればわるいものもある。流行るということは少なからず人に求められているのだとは思いますが、それにしても。子どものころからそんなませたことを言う必要はないけれど、それにまったく気がつかない大人はやっかいです。いいものかどうかは本人が決めればいいのに、その判断を周囲に任せている、つまり、流行っているから買うっていう人は、自分で決めることができないということです。

たいていのことは、自分で決めなくたってどうってことはないかもしれません。でも、その習慣がなくて、大事な時に何に基づいて決めればいいのか、自分自身で答えを出せなくなってしまうとしたら、こんなに情けないことはありません。それに、こうした積み重ねで、今が生きやすい人たちに都合のいい世の中が形成されていくのだとしたら、こんなに世知辛いことはありません。こんなに悲しいことがあるでしょうか。

 

とてもおいしい年越しそばをいただきました。

ごちそうさまでした。