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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

距離と角度

はっとすることが、たまにはあるものです。

 

コミュニケーションにはいろいろな要素があると思いますが、そのうちの一部はそんなに低くないほうだと思います。でも、苦手な部分が大きいこともまた事実です。

 

話を聞くよりも話をすることの方が好きな人が多いというようなことを聞いたことがあります。私は逆で、自分の話をするのが苦手で、人が楽しそうに話をしているのを聞くのはさほど苦になりません。自分の話をしなくてもいいぶん、楽なのです。

私はこれを都合よく解釈することに成功していました。話を引き出すことに関しては不得手ではありますが、話を聞くというスタンスについては持ち味というか、話したい人にとってはありがたがられる存在なのではないかという。

友人は言いました。自分のことを話さないと、と。

自分のことを話してくれるというのは、自分のことを知ってほしいと思っているということの現れでもあるのです。

ああ、そうか。自分のことばかり話すのは聞くに堪えないかもしれないけれど、あまりに自分のことを話さないと縮まる距離も縮まらないのか。言われてみれば当たり前だし、こうして書くのも情けないけれど、ようやくそれが身に染みました。

 

私は、言葉遊び、と言えば聞こえはいいですが、要はダジャレが好きです。脈絡に関係なく話の腰を折るようにはさんでいくことがあります。これにうまく対応できる人は限られていて、多くは気がつかずに流れていくか、気がつかれたゆえに変な雰囲気になります。

友人は言いました。どんな話したの?またそういうこと言ったの?と。

すみません。

私はそういうことを言い始めると、ダメだとわかっていても止まらなくなることもあり、話している相手に迷惑をかけることが多く後悔しがちなので、そういうことを言うことに対しては否定的にとらえている面があります。言ってしまったときにも反省するのですが止められず、改めて友人に聞かれると、またやってしまったと、さらに反省するのです。

友人は続けます。そういうことを言える相手だったんでしょ。

反省はするものの、それがなおらないのは、反省もうわべだけなのです。私自身、それはうっすらと気がついていたのだけれど、かといってまったく反省していないわけではないので、そこには正面から向き合えずにいたのですが、それを自分と相手との距離を測る指標の一つにしてしまおうという、いかにもこ大胆な向き合い方を提示されたような気がしました。

 

こういうことをこういうふうに教えてくれる友人は、わたしにはほとんどいません。