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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

食べすぎ

できることなら誰かの癇に障ることはない方がいいし、誰かのことを蔑むようなことはない方がいいと思います。されるのが嫌なのはもちろんですが、するのも気持ちいいものではないように思います。波風立てずに、立てられずに、穏やかに生きていきたいと私は思っています。

その一方で、できることなら誰かを楽しませることはあった方がいいし、誰かのことを尊ぶようなことはあった方がいいと思います。されるのもいいですが、するのも気持ちいいものだと思います。波風立て、立てられて、刺激的に生きていきたいと私は思っています。

 

 

自己肯定感がないと人は人生が楽しくなくなってしまうし、自信がないと何をするにも楽しむことができなくなってしまいます。ここのところよく耳にする、目にする言説でして、基本的にはその通りなのだろうと思います。私は、自己肯定感が高いとは思いませんが、少なくともまったくないということはありません。そのおかげで、不安もたくさん、悩みもたくさんありながらも、少しばかりの自己肯定感のおかげでなんとかそれなりに生きています。

ただ、自己肯定感がとても強い人、もしくはそのように見せている人、私はちょっと苦手です。不特定多数に発せられている強気な言葉をみると、私などはどこか人としての胡散臭さを感じてしまいます。

よほど自分に、自分の考えに、自分の行動に、自分が出してきた結果に、自信があるのだろうし、それはそれでとても素晴らしいことなのでしょうが、それをどうして強気に発信する必要があるのか、ということなのです。

 

 

ひと月ほど前から、某TV局の某番組を予約録画をして、時間があるときに見るようになりました。先日、その番組では貧富の差、経済格差を取り扱っていました。その中で、ボードゲームでの実験結果を紹介して、裕福になるほど人はいじわるになるというようなことを言っていました。

みんながみんなそうなるわけではないということは言うまでもありませんが、そういう傾向は確かにあるだろうと思います。そして、それはお金だけではないのではない、様々なものに関して言えるのではないかと、そう思いました。

それは自己肯定感が高まりすぎてしまうことからくるのではないかと思います。自信を持ちすぎてしまうことからくるのではないかと思います。それらは、自分の中に持っている限りはとても有効なものだと思いますが、溢れすぎて自分の中だけに留まらず、ひとたび外に出てしまうと、とても残念なことになるのではないかと思います。

 

 

そんなことを書きながら私自身を振り返り、そうなってしまっていないかと反省し、と同時に、そんなことを書いてしまっている私自身を振り返り、人としての私の弱さを再認識させられるのです。

そして、私の弱さを知っていて、私を救ってくれている人たちに気がつくのです。