クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

Big K

とある先輩の話。

 

リーダーとしての権威があるわけではないけれども、何かしようとするときに、だいたいきっかけはその人だったりする。

だれもリーダーとして相対しているわけではないけれども、何かをしようとするときに、だいたいその人の意見を聞くことから始まる。

 

俺はこれがしたいんだとか、こうしたいんだとか、これがいいんだとか、そういうことは言う。

そういうことは言うんだけど、いざ始めようとするときに、驚くほどにまわりの人たちを立てる。

 

簡単に言えば、みんなで何かをするということが好きなんだろうと思うけれど、それにしても人を活かそうとばかりしているように思う時もある。

人を活かす才があるというのは確かだけれど、その人にはほかにもいろんな才能はあって、そちらの方を活かせばいいのではないかと思うようなことでさえも、まずは人を活かす才の方を優先的に働かせているように思える。

 

人は不思議なものだから、誰もが誰もを理解することはできないけれど、誰かに理解してもらいたいとどんな時でも思っている。

誰かに理解されるというのは、いいタイミングで人に活かしてもらった時の感情と少し似ているかもしれなくて、そうされるとたぶん安心感が生まれるんだと思う。

 

私はその人のやることなすことを、ずいぶんと前からそんなふうに見るようになっていて、そうやって見れば見るほど、どうしたらこんな風になれるのだろうかと考えてしまう。

 

ある日、仲間たちが大勢集まる機会があって、私の友人の一人がとても辛かったみたいだった。わたしにとっては、とても大切な友人であったから、私はその友人のことをひどく気にしていた。

特に何もなければ、その集まりが終わった後には、その先輩が中心となって一席を設けるに違いなかったし、私も当然そこにいるはずだったし、その先輩も私を呼んだに違いない。

 

でも、私がその友人のことをひどく気にしていることを横目で認識していた先輩は私を呼ばなかったし、私はその先輩に横目で認識されていることを知っていて、その認識さえあればすべて察してくれて、何も言わずともそちらを優先させてくれだろうと考えていた。おそらく先輩は、私がそう考えていることまで含めて認識してくれていて、事実、そうしてくれたのだと思う。

 

その翌日、その先輩を中心とした幾人かの集まりがあったが、その帰り道で、電車の乗り換えの関係上、その先輩と私は二人きりになった。

先輩は、やはり前日の様子を見ていてくれたと思うのだが、あの友人を心配していて、私に様子を聞いてきた。

集まりの後にやはりいつものように一席があったことは、その日のいろいろな会話の中で私も知っていたし、私が知っていることを先輩も気がついていた。

友人を心配すると同時に、私をその席に呼ばなかったのはそのためであって、普通なら当然呼んでいたよ、わかってるだろうけどね、というメッセージも私は受け取っていた。

私は集まりの後の一席に行けなかったことをお詫びしたいと思っていたのだが、そのメッセージによって、それをすることもしなかった。

 

さらに別れ際には、私自身も忘れていたのだが、数か月前に電話で話したことの現状についても尋ねてくれた。

すぐにまた別の電車に乗らなければならなかったので、ほんの少し会話をしただけで別れた。

 

きっと、場合によっては二人で一席設けようとしてくれていたのだと思う。何もなければ私はよろこんでそうしたかったが、やはりあの友人のことでやらねばならぬことがあったので、それは実際には難しかった。

それに対してもとても申し訳ない気持ちにもなったが、ほんの少しの会話の中で、お互いに直接的には触れなかったが、なんとなくそのあたりの一連のことについてほとんど過不足なくお互いに理解していたのだと思う。

 

人が人を気遣う時、ほとんどはその気遣いが知られることなく過ぎてゆく。気遣いとはそういうことなのだと思う。

それはそれでいいのだけれど、お互いをよく理解してしまってくると、自分への気遣いが妙によくわかってしまったり、第三者への気遣いにも気がついてしまうようになると、なんだか見てはいけないものを見てしまったかのような気にもなる。

 

 

決して格好いいわけではないけれども、私はその先輩のようになりたいと思うことがたまにある。