クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

ダイナマイト

数学で、新しい公式が出てくる授業にワクワクしていました。

公式を覚えてしまえば余分な手間をかけずとも簡単に答えが出せるようになり、そのちょっとした驚きがとても楽しかったことを覚えています。

しかし、それがワクワクの一番の要因ではありません。公式を教わるときには必ずその公式が導き出される過程についても学びます。私はそれが一番の楽しみだったのです。

公式を導く過程自体もそうですし、複雑な過程が単純な公式として集約されるという事実、またその背景つまり目的や動機があってのその過程であること、それからその過程で必要になってくることが知らず知らずのうちにこれまでに学んだものの積み重ねであったということに対する敬意、そして公式から広がっていく新しい世界、そんなことまでが集約され体感できることが楽しかったのです。公式自体よりそれらに価値があると思う、そんな私です。

 

何の話かと言いますと、あなたはあなた、みんなはみんな空いてた席が心地よくての続きで、3つめを書きとめようと思ったわけです。

 

さて、科学技術の進歩とともにますます便利になる世の中です。10年前、20年前と比べるまでもなく、ほんの数年前と比べても生活の中には劇的な変化が見て取れるような時代になってきているのかもしれません。

この便利さをよくよく見つめてみると、過程をずいぶんと飛ばして結果に至るという術が凝縮されている場合があります。これは公式と同じ考え方です。それは、楽です。簡単です。早いです。かける時間や労力が減るということは、その分の時間や労力をまた別のことに費やせるということでもあります。さらに新しいものを生み出す土壌になっていくわけです。

その恩恵にはとても感謝しています。

公式の授業と大きく違うのは、その過程の説明がなされないことが多いということです。

 

過程がわからないまま結果だけを重宝しすぎることには注意を払わないといけないのではないかと思ったりもするわけです。

とてつもなく複雑なことがとてつもなく単純に表れています。だから、ちっとも中身がわかりません。わかる人にしかわかりません。わからないけれど、日々の生活の中でわからなくて困ることなどあまりありません。困らないからわからなくても気にもならない。

それで済めばいいのですが、目に見える影響を与えることがあまりないのに、それでも確実に影響を与えているのです。影響が目に見えるようになってきた頃にはなかなかどうして取り返しがつかないものだったりするのです。あるいは取り返そうにも、これまでの何倍もの時間と労力が必要になって、そんなことに耐えきれないなんてことも。

だからこそ、そうなる前にひとつひとつ、ひとりひとり、注意してみることが必要なんだろうと思います。警戒しすぎるくらい警戒していても見落されるものですから。

 

便利だからといってなんでも歓迎していてはいけないということを、誰もがわかっていながら見失ってしまうほどに、便利の力は大きいのです。

それに自覚的であること、そして、時にはその背景について理解しようとすることが必要になるんだと思うわけです。

 

 

そんなことを考えながら、それを書いているのがデジタルど真ん中ってのがこれまた。

「見たまま編集」というとっても便利な機能を使ったりして。