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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

暗をつつむ陰がよんだ運からうまれた縁がかたちづくる恩

新年あけましておめでとうございます。

片手で数えても余りあるクラブロクラブ定期購読者の皆様、昨年は大変お世話になりました。

今年もそれほどたくさん更新できる気はしませんが、昨年並みには更新できたらと思っております。

結果どうなるかはわかりませんが、そういう心づもりではありますので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

さて。

 

家族仲がすこぶる良いというわけではありません。

かといって特別仲が悪いというわけでもありませんので心配はご無用です。

 

兄と妹に挟まれた3人兄弟の真ん中である私は、振り返れば自由気ままな生き方が染みついていたのかもしれません。

 

一人目は両親にとっても初めての子育てですから、きっと戸惑いも多かったことと思います。それは子どもにも伝わっていたのでしょう、激しい反抗期とともに互いの戸惑いスパイラルが最高潮まで達しました。私は子どもながらに家庭内の不穏な空気を感じ取っていました。私が中学に入るか入らないかの頃です。私が自分のことを家族に話さなくなったはこの頃で、こういった環境が少なからず影響したようにも思います。おかげで、自分で考えて決めることが少しはできるようになったと思います。本当はそのバランスが取れている方がいいのでしょうが、こればっかりは仕方ありません。

 

一般的に末っ子は甘やかされて育つといわれているようですが、私からみれば必ずしもそうであったようには思いません。小さいころは、私は妹の面倒を見るのが嫌いではありませんでした。うまくいかないことをサポートしたり、親に叱られたあと泣き止ますのは私の役目だった時期も確かにありました。妹は兄や私とは明らかに気質が違いましたから、兄や私と比較されることをとてもとても嫌がっていたことを私も覚えています。大きくなるにつれて私がどこか少し距離をとるようになるのには、そういったことも影響していたのでしょうか。

 

真ん中の私は、両親にそのつもりがあったかなかったかはわかりませんが、最低限、兄のあとを追っていけばいいという部分が多少なりともあったのだろうと思います。兄という見本がいたためか、わりと手のかからない子であったようです。私の記憶では、小さいころはとにかく兄の真似をしたい時期がありました。妹を守るような時期もありました。兄ともめなければならないこともあり、やはり妹とももめなければならないことがありました。やがてとにかく兄と違うことがしたい時期がやってきたような気がします。私も妹と同じように人と比較されることを嫌うようになっていたのだと思います。妹のことも冷めた目で見るようにもなっていました。

 

 

両親は共働きでした。

祖父母と同居しておりましたので、知らず知らずのうちにすっかりおじいちゃん子になっていました。もしかすると兄も妹もおじいちゃん子であったと思っているかもしれません。

その祖父が亡くなったのは、今から2年半ほど前になります。

その時、すっかりバラバラになっていた3兄弟が、およそ10年ぶりくらいでしょうか、ずいぶんと久しぶりに揃いました。

葬儀の段取りなどで両親が何かと慌ただしくしていたので、はじめて3人だけで食事に行きました。

そばを食べました。

 

私は兄とも妹ともほとんど連絡をとることがありませんが、妹は何か相談事があると兄に連絡を取っているようです。

 

昨年、兄が結婚し、妹が結婚しました。

 

葬式や結婚式は、家族が集まる最大公約数的なイベントとして、必要な時に必要な頻度で発生し、その時に足りない何かを気づかせたり、考えさせたりするのでしょう。

 

父が紹介した祖父の言葉。

激しいうねりを巻き起こした兄の実に穏やかな姿。

ストレートに感情を表現する妹なりの苦労と喜び。

落ち着かない父の土壇場での勝負強さと、ちゃきちゃきと献身的に動きまわる母に潜む弱さ。

そのいずれにも血筋を感じずにはいられませんでした。

 

 

今年の正月は、兄が嫁を連れて、妹が旦那を連れて、家族全員が集まりました。

昼ご飯を食べ、揃って親戚の家を訪ねました。

1年前までは顔を見たこともなかった二人を加えた家族、人見知りど真ん中の私はまだうまくコミュニケーションが取れません。

 

居心地の悪さを感じながら、正月は数少ない家族の定期イベントとして存在するんだということに、初めて気がついた年明けでした。