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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

蛙寝入り

もう昼間から眠たくって眠たくって、今日はいつもよりたくさん寝ようと思う時に限って寝付けないのはなぜでしょうか。

 

睡眠の研究をしたことはありませんし、睡眠の論文を読んだこともない私ですが、

(そういえば、だれか睡眠関係の研究してたような・・・。)

睡眠というのは寝る前の精神状態に大いに左右されるのでしょう。きっと。

 

思い返せば、学生時代は早起きを苦と思ったことがありませんでした。その分、ずいぶんと早寝だったのですが、遅く寝た日でも起きることに苦労した記憶はほとんどありません。

目覚ましが鳴ったり、起こされたりした瞬間に、まさに飛び起きるといった具合に布団から飛び出していました。

もちろん、今でも調子がいい時は目覚ましの5分前にパッチリと目が覚めることもあるのですが、基本的には目が覚めてもすぐには起きられなくなってしまいました。

自然と早起きができていたときは、特に時間に追われることなく朝の時間を過ごしていたのですが、いつの間にやら、やたらと時間を気にしなければならない毎日です。

すぐに起きられないことを計算して早めに目覚ましが鳴るようにしておかないといけない(と思い込んでしまっている)ので、もう悪循環です。

 

明確に比較できるわけではありませんが、早起きができていたときは、寝ることに対する意識が今とはずいぶん違っていたように思います。

つまりは、、起きた直後から行うルーティンに対して微塵もネガティブな感情を持っていなかったわけです。

 

たとえば、小学生の頃などは、まず飛び起きると、決まって観るアニメがありました。

アニメを見ながらご飯を食べ、ニュースが流れる中、新聞(テレビ欄と4コマ漫画とスポーツ欄)を読み、歯を磨いて、朝の連続テレビ小説を見る。

学校の準備は前日の夜に済ませているので、あとは友人が迎えに来るのを待ち、学校へと向かう。

学校が終わると帰ってきて、アニメを観てか、遊びに行くか。帰ってきたら、ご飯を食べて、宿題やって、アニメ(またはバラエティ番組)を観て、風呂入って、歯磨いて、寝る。

で、また次の日の朝を迎える。

たまに習い事のある日もありましたが、基本的にはこんな生活。

 

中学校では、これに加えて部活と塾とニュースステーションが入るくらいですね。

高校は、塾に行かなくなりましたが、宿題が多かったんですかね。

さほど生活が変わったわけではありません。

 

そんな、どこにでもある日常生活でしたが、毎朝を楽しみにしているというわけではないにしろ、憂鬱なことなどほとんどありませんでした。

休みの日も、部活に行くか、遊びに行くのも小学校区内(近所の友人宅または公園)で収まることがほとんどでした。

 

大学に入ると、やはり行動の幅が広がってきて、もう少し大人になったら、少しずつ知ることも増えてきて、いろんな情報や経験や仕組みの中で過ごすことになって、いいことの幅も大きくなれば、そうでないことの幅も大きくなって、そうなってくると、当然得るものもあれば、失うものもあって。

ルーティンがポジティブでもネガティブでもなく、疑問すらもたないころから比べると、はりきって臨む場合もあれば、嫌々臨むこともあって。

そうなると、アンパンマンではないですが、何のために生まれて何をしてよろこぶかが大切になってくるのかもしれません。

 

「井の中の蛙大海を知らず」

そんな言葉がありますが、

島本和彦さんというマンガ家さんが書いた、「逆境ナイン」というマンガ(映画化もされました)の中で、

この言葉を受けて、

「しかし、通用しなかったとは言っていない。」

という(ニュアンスの)言葉が発せられていたと記憶しています。

 

この方の作品は、こういった名言的なものが多く、

登場人物の極端なまでの行動様式や思考回路がとても愉快です。

 

さて、話はそれましたが、

そんなこんなで、私は、井の中の蛙は大海を知らないかもしれないけれど、大海を知らないほうがいいい蛙もいれば、知ってよかったと思う蛙もいて、蛙の個性とか性格とか資質とか、そういったものによるのだと思います。

で、大海を知ろうが知るまいが、知ってどうなろうが知らないままどうなろうが、最終的にはその蛙自身がよかったと思えたる蛙生を送ることができたら幸せな蛙です。

 

 

なんで睡眠の話から蛙の一生の話になったんでしょうね。

 

睡眠とか蛙とか、そんなこと考える暇もないぐらいに充実した人生を歩んでみたいな。

だれがなんと言おうと、所詮私の人生なんだから。