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クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

あきらめたらそこで試合開始ですよ・・・?

もう6回目ともなると、さすがの私でもだいぶ慣れてくるもので、事前の準備も当日の動きも、さほど大変とは感じないようになってきました。一方で、慣れというのは人間の持つ習性のうちでも最も恐ろしいもののひとつだとも思うわけで、慣れてきたときほど気をつけなければならないし、慣れてきたことで気がつかないままになってしまうこともあります。

 

今回はこれまでよりも少しだけ集まりがよく、それでもこれまで通りと思えるような具合に進行していきました。準備はもちろんこれまでよりも省エネで。完璧とはまだまだほど遠いでしょうが、コンスタントに及第点は出せるようになってきたといったところで。まあこの程度が私らしいと言えば私らしいのかもしれません。実際のところはいったいどうだったのか、私にはよくわからない部分もあります。

 

 

さて、話はコロッと変わりますが、よく眠れません。

たとえば数字の上では7時間たっぷり眠れる時間があるとして、入眠は早くても途中で3回ほど目が覚める、そんな毎日です。それでもまだ目が覚めてからすぐに眠れたらいい方で、なかなか寝つけなくなることも多々あります。ひと月ふた月のことならばまだいいのですが、もういつ頃からなのか記憶にないほど、ここ数年間ずっとそんな状態、さすがにこれはよろしくない。しかし、どうすればいいのかもわからない。頭だけが疲れていて、身体が疲れていないからなのか、それとも気持ちが安定していないからなのか、はたまた。

 

 

ネガティブ、というと、一般的にあまりいい印象がありません。私自身はどちらかといえばネガティブに属すると思いますが、ネガティブをそこまでネガティブにはとらえていません。むしろ、ポジティブよりもネガティブの方が性に合っているので、他の人はどうでもいいのですが、私はネガティブで構わないと思っています。

自信の対義語には劣等感が挙げられるようですが、これらはポジティブ、ネガティブの原因のように言われますが、実はあまり相性がよろしくないように思います。

ポジティブで自信があると傲慢に、ネガティブで自信があると不安に、ポジティブで劣等感があると尊大に、ネガティブで劣等感があると卑屈に。(思いつきで当てはめたので、もっとニュアンスがぴったりくる言葉がきっとあると思います。)

 

ネガティブな私はやはり時に不安に、時に卑屈になることがあります。冒頭の話にもつながりそうですし、もしかすると、これらが私の睡眠を妨げているのかもしれないということは、薄々感づいてはいるのです。

 

そんな私でも、安定した心持ちでいることだってあるわけで、そういう状態をよくよく考えてみれば、それは自信でも劣等感でもない、そこにはあるのはある種のあきらめに似た感覚のような気がします。そう考えると、私はまだ自分で自分に期待しているところがあるのかもしれません。もう期待するのはやめたいのですが。

徐々に淡々と近づく駅に

楽しい旅の2日目の朝は早いものです。

朝食もビュッフェ形式ですが、混み合うために宿泊者別に時間帯がわけられていて、私たちは早い時間帯での朝食となっていました。眠い目を擦り朝食会場に行くと、朝は朝で素敵な料理がずらりと並びます。晩にあれだけ食べたのに、なぜ朝早くからこんなにも食べられてしまうのか分かりません。

 

部屋に戻ると自然とみんな二度寝です。あっという間にぐっすりです。こんなに気持ちのいい二度寝もなかなかありません。

 

チェックアウトをすますと、市街地へと車を走らせます。この旅では必ず行くと決めていた場所はほとんどないのですが、市街地の商店街にある小さな店に立ち寄ることだけは決めていました。そこへ向かいます。着くころにはすっかりお昼になっていて、食べてばかりのような気がしますが、それでも不思議なものでお腹がすいてきます。この地域で名物となっている肉を食べようと店を探し歩いていた時、ふと友人が肉の店を2軒はしごしようという提案をしてきました。当然のように私たちはその肉の定食を食べることしか考えていなかったのですが、こういう提案があるときはこれもまた当然のように私たちはそれに乗るところがあります。

 

お昼時はどの店も混んでいて、いくつか目星をつけていた店がいっぱいで入れなかったので、通り道で見つけた一軒の店に入ることにしました。はしごすることになったので、定食はやめて単品をいくらか頼み、なんとなしにメニューを見直していると、ネギのてんぷらが目につきました。よくよく見ると、その店はもちろん肉もさることながらネギもウリにしているようだったので、試しに注文してみることにしました。結果的に、この店にはとても満足させられました。肉も文句なく美味しかったのですが、追加で頼んだネギのてんぷらが絶品でした。8かけの肉をジャンケンで取り合ったことも昔懐かしく、印象的な場面でもあります。

 

店を出て、二軒目を探します。少し道を横にそれたところにある店、これはわりと有名なお店らしいのですが、そちらに入ることにしました。ここでは、定番の焼いた肉だけでなく、煮込んだものもあり、これがまた想像以上に美味しく、すでに十二分にお腹いっぱいなのに軽く平らげてしまいました。思いもよらなかった昼食のはしごは、まったくの後悔なし、充実した昼食となりました。

 

さて、ようやく例の店に。一階にあるのかと思っていましたが、二階でした。細い階段の壁には、私たち4人が好きなものに縁のある商品が展示されていました。店自体はとても私たちが寄るような店ではないのですが、その縁のために来る人が少なくないことは容易に想像できます。レジのまわりにもそれらの品がここそこに飾られていました。とはいえ、何かいいものがあれば買おうと店内を見渡していると、私の好みの、というよりも、これが私の好みだったと気がつかせてくれるようなハンカチを見つけました。こういう出会いはとても嬉しいものです。商品を買うともらえるそれ関連の紙もついでにもらい、晴れやかな気分で店を後にしました。

 

私はその日のうちに新幹線に乗らなければならなかったので、そう考えるとすっかりいい時間になっていました。前日は寝不足のために大事をとってハンドルを握りませんでしたが、この日はしっかり二度寝までしていたので、友人と交代しながら高速を帰ります。

 

この旅の友人たちとは、これからもこうして非日常的にしばしば会うことでしょう。

当時の日常が今では非日常になり、今は今の日常があります。

新幹線の駅が近づくにつれて、もっと遠くにあればいいのにと思わずにはいられない、気がつけばそんな旅になっていました。 

ボイス・オブ・バカ

その日、眠りについたのは、朝日が昇ったあとの駅前の漫画喫茶でした。眠ったか眠ってないかというころにアラームが鳴り、しばしばする目を擦りながら会計を済ませると、駅前で友人の車を待ちました。ずいぶん前から楽しみにしていた友人宅への宿泊は土壇場で流れてしまったものの、少しの仮眠だけで朝早くから車を待つのは一泊二日の旅行に出かけるためです。メンバーは私の大学時代の相棒でもあるその友人と、共通の後輩でもあるその友人の奥さん、そして共通の先輩の4人、みんながみんな気心の知れた友人たちであり、この度は4人が共通に楽しんでいるものに縁のある地への旅です。

 

運転できるのはその友人と私の二人だったので、かねてから私も運転するからと言っていたのですが、この通り徹夜明けの寝不足な私に慣れない車を運転させるほど愚かではないので、結局その日は友人が最後まで運転してくれました。私は運転席の後ろが定位置となり、隣に座った先輩はこの日のためにと用意した音楽をスマホから流します。スマホはちょうど4人の中央に置かれました。助手席に座った後輩には、ほとんど私の声は届きませんでした。ちょうど間にある音楽に、私の声がかき消されてしまったようです。

 

目的の土地に着き、まずは腹ごしらえ、昼食はやはり海産物を食べたいということで、海鮮丼や各種定食がいただけるお店に入ります。私は散々迷った挙句、カマ焼き定食にしましたが、刺身も焼き魚もてんぷらも、どれを見ても美味しそうでした。

 

さて、昼食後に向かったのは、とある記念館。好きな人にはたまらない贅沢な展示物に加え、随所に遊び心がみられます。その一つに、直径10㎝に満たないほどの管が壁づたいに巡らされていて、同じマークがついた管の出入り口の一方から話をすると、もう一方から聞こえるというものがありました(説明が下手)。試しに、ということで、私と後輩でやってみます。まずは後輩が話し、私が聞きます。ずいぶんと離れたところにある出入り口ですが、確かによく聞こえます。ついで私も普段通り、つまりは雑音にかき消されてしまう声で話しかけると、後輩が大笑いしながらこちらへやってきます。曰く、物凄くよく聞こえる、と。先ほどまでの車では全然聞こえなかった声が、この装置を使うことで実に快適に聞こえる、それを先輩である私をいかにも馬鹿にしたように笑ってくるのです。

 

その記念館を隅から隅まで楽しんでいると、気がつけばしっかり2時間経っていました。宿へ向かう前にもうひとつ寄り道をしました。全国的にも有名なその観光名所は、私は以前一度来たことがあるはずなのに、記憶力がすこぶる悪い私は微塵も覚えていませんでした。さて、その一角におみくじがあるのを見つけた先輩は、私に勝負しようと声をかけます。おみくじで勝負、ということ自体がまったく見当違いなのですが、それはそうと、私と先輩はおみくじを引き、結果は吉と末吉で、私が勝ちました。

 

ちょうど日も暮れてきたので、宿へ。部屋に入り、夕食まで15分ほど。相棒と後輩はその間隙を縫って温泉に入ると言い、私と先輩はダラダラすることを選びます。2人が温泉に行っている間に布団を敷きに来た宿の方に、夕食についてオススメと反対にオススメしないものを聞きました。

 

楽しみにしていたビュッフェ形式の夕食では、オススメは2人と共有し、オススメしないものはあえて伝えないという遊びは当たり前ですが、結局オススメされたものもオススメしないものも、どちらもいまいちピンと来なかったので、4人とも食べませんでした。ともあれ非常に充実した料理の数々、とても贅沢な気持ちになります。ほとんど食べ終わりに近い頃、先輩の一言に対して少し馬鹿にしたようなニュアンスが出るように私がツッコミを入れたことから、4人の笑いのツボに入り始めました。ひと笑いふた笑いしたのち、後輩が今日二番目におもしろかった、と言います。一番目は、と聞くと、例の記念館で管を通して聴いた私の声だと言います。ここでも人に追い打ちをかけるように馬鹿にしてくるのです。

 

温泉に浸かり、部屋に戻ってから車の中で話題になったけれどもまったく答えが出せなかったことを調べては、それを必死に頭に入れる作業をして、もういい時間なので寝ることにします。楽しい旅の一日目はこうして幕を閉じていきます。

 

気がつけば、前の日の朝からほとんど寝ていないのに、もう40時間ほど、それまでなぜ眠くならなかったのかが不思議なくらいです。布団に入り電気を消すと、きっと私は30秒も経たずに眠っていたと思います。

 

もう一日、楽しみが待っている、何と素敵なことでしょう。

二ヶ月早い師走

大学時代のゼミの先生には、とても大事なことを教えてもらいました。卒業後も不定期ですが、平均すると年に1回くらいのペースでは会っています。

毎年、現役生からOB・OGが一堂に会するゼミ総会が開かれているのですが、私は地方に住んでいるため、なかなか参加することができないでいました。先日、それとは別に、その先生をお祝いするためのサプライズパーティーが開催されるとのことで、何ヶ月も前から仕事の都合をつけるように調整していました。

 

当日、朝から新幹線に乗り、会場へと向かいます。

私のゼミでの振る舞いというのは、実におとなしく、闇に隠れて生きるようなものなのですが、私はそのゼミのわずか5名の2期生ということで、なんとなく立場を保っています。しかも1期生はさらに少なく2名、うち1名は別の仲間うちの先輩にあたり、もう1名は留年しているため最後の1年は私たち2期生とともに授業を受けているため、その事実がさらになんとなくの私の立場を保たせています。

 

驚くほどしっかりとサプライズに驚いていた先生は、とても嬉しそうでした。ほどなくして、さらなるサプライズとして、奥さんと娘さんも合流、これにもしっかりと驚く先生はどこか幸せそうな様子に見えました。

 

二次会、三次会と続くにつれ、徐々に人は少なくなっていきましたが、翌朝が早いということで先生は三次会のあと、娘を連れて帰りました。が、奥さんが残り、世代が上のメンバーを何人か連れて、労いの会を開いてくれました。

 

すでに四次会、はじめのパーティーがお昼から始まっていたとはいえ、すっかり深夜です。終電が近づくものの、奥さんはすっかり酔っぱらっていて帰る気がありません。

私はその日、友人宅に泊めてらうことになっていたのですが、奥さんと変える方向が同じということで、先輩から私は残ってタクシーで帰れ、という指令に。うまい具合に他のメンバーが終電のタイミングで抜けることになり、私は残されました。

 

そこからです。奥さんの、先生に対するうっぷんがとめどなく溢れ出します。

学生時代、何度か先生宅におじゃましたこともあり、奥さんも私の性格的なことについてはある程度わかっていて、社会で生きていくうえで足りていない私の資質についても心配してくれています。たぶん先生も私のことをずいぶん心配してくれているのでしょう。私は周りから心配されがちな方なので、そういう気の遣われ方にはわりと敏感です。だからこそなのかもしれません、私に対して先生に対する愚痴が出てきたのは。

それに対して適切な回答を出すことはもちろんできませんので、ひたすら聞きました。おかげさまで、人の持つ様々な面が垣間見える時間となりました。だからといって、どうということはありませんが、次に先生に会うときには、それとなく奥さんの望みが叶うように遠回しな話をしてみたいなと思います。もちろんできるかどうかはわかりません。

 

五件目、六件目と続き、気がつけば朝の五時をまわり、すでに始発が走り出していました。すでに奥さんはほとんどぼんやりとしていて、なんとか電車に乗ったものの、すぐに寝入ってしまいました。私の方が降りる駅は早かったので、少し心配ではありましたが、一応、奥さんを起こしてあいさつだけして、電車を降りました。

 

不思議と眠たくならない長い夜でした。

 

本来は友人宅に泊まり、6時半にはともに旅行へと出発する予定だったのですが、友人宅の最寄駅にある漫画喫茶でほんの20分ほどの仮眠をとり、友人が迎えに来るのを待ちました。

 

この日は人の光と影をたくさん見ました。

隣人の自分

とあるイベントがあり、隣の県まで行きました。隣の県と言ってもずいぶん遠い。

 

3日間のイベントですが、初日は所要のために欠席。翌日から参加するために、初日の夜に現地に入りました。予定より早く着いたので、チェックインを済ませて一人食事に行きました。駅前のホテルだったので、少し歩けば飲み屋街、といったところです。

お酒に弱い私は、何かしらの集まりの時に付き合い程度に飲むことはありますが、日頃ほとんどお酒は飲みません。この日もそんなつもりはなかったのですが、美味しそうな料理が出てきそうな店を探してウロウロと歩き回っていると、どうにも小汚い飲み屋が魅力的に見えてきました。こういう店に一人で入ることには抵抗がない、むしろ人を連れて行きにくいので一人の方が入りやすい、という思いが後押しして、一軒の飲み屋に入りました。カウンターしかないこぢんまりとしたお店でした。

お米が好きだからなのか、なぜか相性のいい日本酒をちょびちょびとやりながら、刺身やてんぷらに舌鼓を打つ。この手の店はやはり美味しいものを出してきます。なんだか酒飲みみたいで滑稽です。

 

翌日、悪天候だったこともあり、イベントはグダグダ感満載でしたが、一応大人の対応はしたものの、懇親会はさすがにひどすぎました。イベントの主催者たちの気の利かなさは、運営を手伝っていた学生たちにも当たり前のように波及していて、実に退屈でフラストレーションの溜まる懇親会、もとい、単なる食事、いや、食事もさほど満足にできない無駄な時間でした。お開きとなり、帰り際にようやくまともそうな人と会話ができたことだけが唯一の収穫でした。

ホテルに戻り、まだ時間も遅くなかったので、満足しきっていないお腹と心を満たすために、前日とはまた違う、カウンターしかない小汚い飲み屋に入りました。客も少なかったので、大将のオススメを何品かとやはり日本酒を頼みます。もともとが弱いのでたいして酒は進まないのですが、土地の名物は驚くほど味わい深く、これまで知らなかったことがもったいないくらいでした。二日続けてこんなことをして、いよいよ酒飲みみたいで滑稽です。

 

翌日、やはり乱雑なイベント進行にもめげず、なんとか大人の対応をみせ、お昼までのイベントをやり過ごして岐路につきます。

 

すぐ隣にでもいそうないわゆる世間一般の大人と言われる人たちがやるようなことを、わざわざ隣の県で実践することになるとは思っていませんでしたが、家に帰るといつも通り簡単なご飯を作り、撮りためたアニメを観ながら、緑茶片手に一人で食しました。 

無縁、海と空

朝一の仕事をサッとかたずけて、その日、島に行きました。

 

半島の端までは車で、そこから15分ほど船に乗ると小さな島に着きました。

港の正面に立ち並ぶ店とは別に、少し離れたところにも何件かあるようで、お昼はそちらに向かうことに。お腹がすいているときに限って閉まっています。やむなく港の方へと戻り、定食に一品添えてちょっとだけ豪華な食事です。

 

この島は海沿いを一周しても歩いて2時間ほどとのことで、地図を片手に進みます。これという見どころが、そんなにたくさんあるわけでもないのですが、歩くことすら面倒に思えてきてしまう日々の生活を考えると、ただ海沿いを歩くことですら非日常です。

 

島の生活はきっと私の生活とは大きく違うような気がしました。歩きながら、自分がどんな子どもだったかに少しだけ想いを馳せてみました。この島で生まれ育っていたら間違いなく今のような自分にはなっていなかったと思います。

 

ひとまわりしてからひとやすみ。気を抜くとずっとゆっくりしていそうになるくらい、のどかな時間です。

 

島を後にして、小高い丘にある神社にお参りをしてから、大きなエビフライが食べられるお店に行くことにしました。日頃あまりおいしい海の幸を食べる機会がないので、島での食事もそうですが、海の近くはそれが一番の楽しみかもしれません。

 

帰り道、空港に寄りました。デッキから飛行機の離陸、着陸を何機も見届けました。あらためて見ると、あんなに大きな物体が空を飛ぶことの不思議。特別に飛行機が好きだということもないのですが、そんな私でも見入ってしまう魅力が飛行機、もしくは空を飛ぶことにはあるようです。

 

私には似つかわしくない、贅沢な一日でした。

あれもこれもバラバラな日々

自分でも不器用な方だとわかっていますが、ここまで空転するとなると、本格的に問題です。できるだけいろんなことを同時にうまいこと回していきたいと思うのですが、なんとも回転がかみ合わないようです。

 

ここ3ヶ月ほど、いろんな方向に気持ちと頭とが持っていかれて、どれも中途半端になっています。もともとはそんなにたくさんのことではなかったはずなのに、いつの間にかタイミングが重なって次々に増えていったり、あるいはある方向に進んでいる中でまったく別の性質のものが生まれてきてしまったりして、すでにずいぶん前から私の許容量を超えているのだと思います。なのに、徐々に収束に向かうことですらなかなか終わらせきれなかったり、そうこうしているうちにまた別のものがいくつも迫ってきてしまい、もういい加減にまずいのです。

 

一つ、他のものとは少し種類の違うことがあり、今週のチャンスで一気に片をつけてしまいたいと思っています。そんなに引っ張っても良くないのはわかっています。これがうまく収まってくれさえすれば、私としてはもうずいぶんと気が楽になるのです。が、いざとなると難しいかもしれません。

 

さて、そんなことを考える暇があるならひとつずつ片づけていけばいいのですが、それができないからそんなことを考えてしまうわけで、そんなことを考えていると、いったんすべてをリセットしてしまいたくなります。そして、リセットしたあとにもう一度ひとつずつ集めていくとしたら、まずどれを拾うのか、次にどれを拾うのか、いくつまで拾えるのか、そういうことを冷静に考えてみたい気分になります。利己的に、無責任に。それができないのには理由なんてなくて、ただ漠然とした気持ちからなのです。

 

頑張れ、という言葉が好きではなくなってからもう何年も経つのですが、それでも便利な言葉だからか、ふいに使ってしまう癖が抜けません。

頑張れ、自分、とつい安易に使いたくなってしまう今の私に、頑張らないといけないようなことは頑張らないと続かないことだってあるものだと考えると、今回はそんなに頑張っていてはいけないぞ、と言い聞かせながら、それでも無理のないくらいに少しだけは頑張ってみたらうまくいくかもしれないと思い込ませてみると自然と出てくる程度には頑張ってみて、あとはもう無理しないようにしたいと思います。しばらくは。

 

こんなんでごめんなさい

年に一度のこの日が、今年もやってきました。

とある時期のとある組織のメンバーとその組織の今のメンバーの多くが集まります。一年に一度、あらためてなにかを確認する日でもあります。

 

今年は例年あまり来られなかった方も来られていたり、毎年この日に会うことが楽しみな人ももちろんいたり、残念ながら来られないメンバーもいましたが、なんにせよこの日はそういう日です。

 

しかし、しかしです。

 

もしかしたら当たり前なのかもしれませんが、今の人間にとっては、ただその場があるというだけで、そこに何を想うわけでもないのかもしれません。当時を知っていようがいまいが、その組織に関わる以上はその歴史の上に生きなければなりません。そこには脈々と受け継がれるものがなければならないのに、それが感じられないのは本当に恥ずべきことです。

 

共感、という力は、ある意味で人としての生き方を左右するもののような気がします。共感力が欠如する、主観人間とでも呼ぶべき人もいるでしょう。これもまた難儀ではありますが、共感の方向性が異なる人間とはうまくやっていくことがほとんど不可能に近い。

 

こうしてまた、より共感の方向性が同じ人たちを確認し、その対比で違う人たちに呆れてしまうのは、この日の正しい過ごし方ではないのですが、どうしてもそうなってしまうことが本当に情けなくもあります。

 

人のことはどうにもできません。どうにもできないことに腹を立てても仕方ありません。わかっていても、せめて腹を立てないと申し訳が立ちません。

 

そういうふうに生きていくしかありません。

なかなか予定通りにはいかないものです

とある映画が気になっていました。

わりと私の好みのジャンルの映画と誤解されやすく、私の好みの監督作品と誤解されやすいのですが、むしろ苦手なジャンルでまったく気にしていなかったのですが、私の好きな作品の作者が自身の作品と絶妙にリンクさせながら絶賛していたこともあり、徐々に気になり始めました。

 

映画は基本的には一人で観に行くことがほとんどなのですが、知人を誘ってみようかと思いました。その知人がこの映画に興味があるかどうかは定かではない、むしろさほど興味はないのではないかと思いましたが、映画自体はわりとよく観ている印象があったので、一応聞いてみました。

 

かくして珍しく人と映画を観に行くことになりました。一人ならどんなにおもしろくない作品だったとしても、一人でムッとしていれば済むのですが、人と行く場合、しかもこちらが誘っている場合は、期待外れの作品だったらどうしようかという不安を大きく抱えることになり、独特の緊張感があるものです。

 

私の仕事の都合で中途半端な時間の待ち合わせになりましたが、知人は休みだったこともあり、ずいぶん早くから到着。私はというと不慣れな交通手段に若干の遅れ。とはいえ開演までは少し時間があったのでチケットだけ先に買っておいて、軽くお茶をしてから臨みます。

 

とても素晴らしい作品でした。そして、どこがおもしろいのか言語化することがとても難しい作品でした。みんながみんなこれをおもしろいと言っていてはいけないような気がしますが、ここまで評判になるのもよくわかります。強烈な作家性とでもいうのでしょうか。恐ろしいまでの作り込みと物凄い情報量で、これは一回観ただけでは消化しきれません。おかげで私のレベルでは語るに語れない、しかし素晴らしいことはわかる、そんな作品でした。

 

高揚感を抱えたまま食事をしながら、いろんな話をしたような気がします。

そして、あっという間に終電の時間となり、慌てて駅へと向かいました。

一番一択

この友人夫妻とは、なんだかいつもつかみどころのない話をしているような気がするようで、なんだかいつもつかみどころがなくてもつかめるような話をしているような気がします。

 

今回は私の近況を探る、ということからスタートしました。ちょうどこのブログを久しぶりに連投していたので、そのあたりの様子をあることないこと聞かれるという、まあよくあるといえばよくあるパターンです。友人は友人でストレートに聞いてきたりもするのですが、私は私で曖昧な返答しかしないものですから、具体性に欠ける内容になります。友人夫妻は質問の形式を変えたりしながらなんとかしてほじくり出そうとしており、私は特に意識していなかったのですが、どうやら私の話を聞くときはいつもそのような感じになるそうです。

 

ああ、おもしろいなと思ったのは、友人(旦那さん)がいろいろと私に質問するうち、二択問題みたいになったかと思えば、二択を出そうとするうちに一択問題みたいになって、私の答えを決めてきたりしたことです。私の気持ちを想像しているうちにいつの間にかそれ以外は考えられないほどわかってしまったみたいです。

もうひとつ、ああ、おもしろいなと思ったのは、友人(旦那さん)がランキングの話をし始めたときに、私は、ランキングにすると友人(奥さん)が一番になりたがって少しムッとするような気がしたのですが、そう思っているとやはり友人(奥さん)がランキングだと私が一番になる、というようなことを言い、ムッとしたかはよくわからないけれどランキング形式を否定してきたことです。友人はもう十二分に一番なのだからわざわざここで一番になる必要はないだろうとは思うのだけれども、それはそれで私も嬉しいことだし、期待通りにそうだったことも私を少しワクワクさせました。

なんかこの人たちはいつまで経っても根本的なところが変わらないんだな、と思いました。

 

移動するときに、〇ちゃんがヨタヨタ歩くペースに合わせて友人もトコトコ歩き、その前方で私が駅に向かいがてらカフェを探してキョロキョロ歩くペースに合わせて友人もテケテケ歩いているこの光景こそが、実は、ああ、おもしろいな、と思うものだったかもしれません。

 

それと、友人(旦那さん)が私の仕事についての話をしてきたことをきっかけに、有り体に言えば真面目な話になっていき、つい無駄に熱量を持って話してしまったけれど、フェアですね、の一言に過剰に反応したのは、私自身はそれらのことに対してフェアだという心づもりではいるのだけれど、どうやら周りからはフェアというよりもむしろ偏っているように思われることの方がおそらく圧倒的に多いからかもしれません。

 

 

さて、友人夫妻はいよいよいいおとうちゃん、いいおかあちゃんになり始めているようで、〇ちゃんはこの二人の娘でよかったね、と思いました。

一方の私はというと、おもしろいほどに停滞していて、停滞前線かと思いました。