クラブロクラブ

自然な波に乗せられて

On Your Mark

あけましておめでとうございます。

その年にあったことについては、できればその年のうちに書いてしまいたいという気持ちはあるのですが、さすがに師走と言うだけあって、師でもないのに何かとバタついてしまいました。年末に少し時間もあったのですが、どうしても年内に読みたい本が2冊あったので、書くより読むに時間を割いていたら、時間が足りませんでした。

というわけで、いったん一年の総括をしてからゆっくり個別に書いていくことにしましょう。

 

さて、2016年を振り返れば、ようやくスタートラインに立てたというような年でした。

 

上半期、下半期、それぞれ一つずつ大きなテーマに正対することになりました。どちらも私の根幹にかかわる引っかかりで、どうしても何とかしたかったのですが、どうしても何ともなりませんでした。それが昨年は、そうなるようにできていたのではないかと思いたくなるほど、実に私も周りも自然とそうなるように流れていきました。

 

 

上半期は前の仕事から連なる恩人についてです。

自分が虐げられたり貶められたりすることは、それはそれで辛いことです。しかし、私にとって大切な人がそうされることの方が何倍も、何十倍も深く抉られ、耐えがたく、さらに、それに対してどうすることもできない己の無力さに直面し、屈辱的なものを感じます。

4年半ほど前に、ごく一部の不誠実で傲慢な人間が持つ実に利己的な自己顕示欲と支配欲による、私の恩人への筆舌に尽くしがたい仕打ちは、その人を深く深く傷つけ、まるでその人ではなくなってしまったかのようにさせました。その人の人生はもちろんのこと、私も含め、その人のまわりにいた人たちの人生もまた大きく左右されることとなりました。恩人は地元に帰り、まわりの人たちも多くがそれぞれに仕事を変え、それぞれの場所に移りました。私は仕事は変えましたが、私の地元でもあるその地に残りました。

それ以来、年の瀬にはみんなでその恩人の地元を訪ねてはお酒を酌み交わしていましたが、一昨年、今度は私が行く、とその人自らが口にしてくれました。とても嫌な思いをさせられた土地に、当時はもう二度と行かないと言っていたのですが、少しその心境に変化が生まれました。

翌月、年が明けた一月の暮れ、遠くの島でその人の講演会が開催されることになり、私もその手伝いに行きました。翌日、この機会を逃してはならないということだけは確信し、しかし具体的な計画も何もないまま、私はその人に、今度は私が準備をするのでこちらに来ていただけませんか、と申し出ました。複雑な思いが巡っていたのだと思います、慎重に言葉を選びながらも、その機会を望んでいることを私に告げました。

それからの半年はとにかくそのことをなによりも優先して考えてきました。形の上では私の仕事の一環として位置付けていたものの、もはやそれは私の個人的な使命でもあり、私たちの念願でもありました。その人のためなら、と協力を惜しまない人たちがたくさんいいました。まったく別の軸でその人に突き動かされていた人たちがいて、その人たちも私たちに寄り添ってくれました。思えばその人のまわりにはいつも、その人柄に惚れたたくさんの人たちがいました。

その会をなんとか形に持っていった7月の頭、当日はその人に会いたい人たちが驚くほどたくさんいて、その時間と空間はその人への想いで溢れていました。

あの日以来、右往左往しながら前にも進めず、後ろにも進まず、ただ時間だけが過ぎていたような気がします。

この日、180°風向きが変わったような気がしました。あの頃とは違うところで、あの頃と同じ方向に進めるような気がしています。

 

 

下半期は年初の一言、今年は本気、からスタートしていたのかもしれません。

あまりの縁のなさに毎年のようにまわりからネタにされ、むしろ自分からも積極的にネタにしてきていたことがありますが、それにしても気がつけばもう悪夢のような記憶から10年以上の月日が流れていたことになります。私はいつもなら8割以上の心持ちでネタとして扱っているところ、昨年はなぜかネタとしての気持ちが4割ほどで留まり、残りの6割は本気だったように思います。そういうことで、いつもよりも強調して、今年は本気、と言い始めたのが年初で、以降その話になるたびに、今年は本気、と言い続けてきました。とはいえ、上半期はなんにしてもそのことが常に中心に回っていたため、いくら口では本気と言っていても、中身は一向に伴わなず、特に何をするでもなく、何がどうなるでもないままでいました。

それは6月の終わり、まさに7月頭の会の準備が大詰めに向かっているその時、それまではまったく意識にもありませんでしたが、ほんの些細な一言で、ほんの些細な行動で、意識下に現れてきました。不意を突かれたので事の真偽は自分でもよくわかりませんでした。

それからひと月、会も大団円を迎え、事後の処理も大方目途がたった7月も終わり頃、 私自身よく定まっていないままではあったものの、ちょうどいいきっかけがあったため、一つ動いてみました。この最初の動きは人の意思もさることながら、運にも左右されるもでしたが、むしろそれが私にとっては良かったのかもしれません。そういうものを信じているわけではないですが、うまくいくときはそういうものだし、うまくいかないときもそういうものだと思っているところがあるからです。

ひと月に1回か2回、何かしらの機会をつくることができたわけですが、私は無理することが苦手にもかかわらず無理をしがちになる傾向があるので、ことこれに関しては意識的に無理をしないようにしてきました。私が私自身に対して疑心暗鬼になっていたことももちろんそうですし、なにかにつけて人よりもゆっくりとしかできないという性質もまたそれに輪をかけていたかもしれません。

今、というよりも、この先、より距離が近くなっていけるような感覚が、いつしか湧いてきていました。もうこの歳になると境目がよくわからないものなのかもしれませんが、私はそこまで器用ではありませんので、年の瀬も押し詰まった頃、一つの区切りとしてはちょうどいい時期かと思い、私はいよいよ境界線を引くために一言声をかけることにしました。一言といっても、実際にはひたすらにまわりくどく、ずいぶん悲惨なことになっていたと思います。こういう時、私はそういう人間だということを嫌でも認識せざるを得ません。私はいったいどういう言葉を交わし合ったのかほとんど覚えていないほど動揺していましたが、望んだ通りに話が進んだことだけは分かりました。一瞬だけ放心状態になりました。

もうあと数日で年が明ける、そんな夜のことでした。

 

 

かくして幕を閉じた2016年、日々の生活が充実していた年というわけではありませんでしたし、むしろずいぶんと苦しいものがありました。ですが、おそらく私の人生を振り返る上で外すことができないことになりそうな出来事が2つ起こったのが昨年でした。そして、そのどちらもが、これがゴールではなく、ようやく暗鬱とした足踏み期間を経て、これからまったくどうなるかわからないけれども、どちらの方向に進むにせよ、ともかく進むことができる状態になる、そんな出来事でした。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

渦巻き

続いては、同期の友人で、これはまた天然というにふさわしい、しかしそれでいて繊細さと鋭さがあるような人です。

 

遅れて合流したこともあってか、最初は探り探りのスタートだったように思います。友人の偉大な特性の一つが食への欲求に対するがすがすがしいまでの素直さ、なのですが、どうにも話を聞いていると笑えてしまいます。

 

学生時代から確かに食べ物に関するこだわり、というと聞こえはよく、むしろ執着と呼んだ方がいいのかもしれませんけれども、それがあり、それは実にシンプルで、美味しいものをたくさん食べたいということにつきるのでしょう。

友人は同席していた友人夫妻をつかまえて、おかずを一つのお皿で食べる時ってどうしてる、という話を始めました。要するに、半分以上食べられたくないから、ということらしく、特に美味しいおかずの場合は食べ進み具合をひどく気にしたり、早いペースでおかずに箸を伸ばす、ということのようです。わかる、確かにわかる、その友人はそうなのです。ただ、聞かれた友人夫妻もそうだし、私なんかももうこの歳になると、むしろ少なくていいのです。それは少食だからということではなく、争ってまで食べたいということよりも譲ること、遠慮することの方がいいような感覚がすっかり馴染んでしまっていて、それはもしかするとある種の強迫観念めいたものなのかもしれません。

 

私は、こういうときに自分の欲求を素直に出せる人の魅力に憧れるのですが、どうしてでしょうか、人目を気にするというか、そういう中で息苦しく生きていくことを辞められないでいます。

 

この友人には、かように自然と人を惹きつけるものがあります。大人数の時はさらっと隠れていることも多いし、あまりそういう場を好まないようにも思うのだけれど、少人数の時はいつの間にかその中心にいるのです。前へ前へとでるタイプではないのだけれど、それは実に自然とそうなっていくのです。もちろんそうは言っても、その裏でかなり注意深く気を遣っていることもよくわかります。 

 

こういう友人がいると、人生が少し楽しくなります。

ミスマッチ

一泊させてもらう友人の奥さんは共通の後輩で、いつも私をいい具合に馬鹿にしてくるのです。遅れること40分、4番目にやってきたこの日もやはりそうでした。

 

いつものように私の声が聞き取りにくいことを嘲り、ひと月ほど前の旅行のときの私の声のこともみんなに言おうとして、途中でやっぱり私に自分で話せと放り投げてきます。なぜ自分のことを馬鹿にする話を自分でしないといけないのか分かりませんが、つい乗せられてしまいます。

 

さらに、この日もっとも象徴的だったのは面と向かって、変な顔、と言われたことです。確かに私は変な顔をしているし、そのことについてはわりと自覚的でもあり、むしろそれをうまく利用して笑いを取ろうとする節がありますので、まあいいと言えばいいのですが、普通はなかなか本人に向かって変な顔って言わないような気がします。

まあ、それを聞いてまた別の友人が、変な顔って、って言いながら大笑いしているのもそれはそれでどうかと思う、というより、そっちの方がひどいのかもしれませんが、ともあれ、そんなことで何度も笑いが起こって、場がより一層和んでいきました。

 

もうひとつ、印象的なことがあったとすれば、また馬鹿にする、いえいえ馬鹿にしてないですよ、という掛け合いの中から出た、すごいですね、という棒読みです。まったくもってすごいと思っていないのを伝えに来ている棒読みです。じゃあなにをすごいと思うのか、と問い詰める中でいくつかひねり出そうとした中で、自分で会社を始めているということを挙げてきました。

これについては私自身、偏見ともとれるかもしれないけれどもある程度固まった見方があり、馬鹿にしてくる友人にも、ちゃんとなぜすごくないのかを伝えてみるいい機会かなと思いました。

 

簡潔に言えば、社会不適合者だから、です。

起業、というと、カッコいい感じだったり、なんかいけ好かない感じだったり、それこそすごい感じだったり、まあもろもろ感じ方はあるかもしれませんが、たとえば、起業家なんて言い方は、なんだかひたすらええかっこしいな気がします。ましてや自らのことをそのように称する人たちもいますが、それはもはや私のような社会不適合者が、そのことを認めたくなくって必死になって、なんとか自分のことをいいように見せようとしてそう言っているのではないかと思えて仕方がありません。

 

社会適合者は、今の社会にあるモノやコト、あるいは仕組みの中で、程度の差はあれ、どうにかこうにかちゃんと適合して生きています。ですが、社会不適合者の中には、本当にどうにも適合できずにどうしようもないほど苦しんでいる人たちがいる一方で、適合できないから自分が適合できる社会、ここでいう社会は広い意味での社会ではなく、自分の身の回りの小さな社会程度のことですが、適合できる社会をつくることで、なんとか生きているということなのだと思います。そうしてつくった社会が、たまたま多くの人に受け入れられたら、それが広い意味での社会のひとつとして吸収されていく、そうして社会不適合者が形としては社会適合者になることもあるのでしょう。

同じように会社を立ち上げた人でも、もともと社会不適合者であったということを自覚していない人が、運よく社会に受け入れられてしまえばそれは増長し、嫌味な感じで自分の社会の価値観を押し付けようと必死になるし、自覚している人が受け入れられたならば、きっとより温かい社会になっていくのだと思います。もちろん、私のように社会不適合者の自覚があって、広く社会には受け入れられないままどうにかこうにか存在していることもあるでしょうし、自覚していないまま受け入れもせず、ますますこじれていくこともあるのかもしれません。

 

友人にはここまでの説明ではないにしても、その多くが社会不適合者であることを伝えると、なんとなくのニュアンスは理解していたように思います。

ついでにいえば、私は社会不適合者なだけでなく、社会不適合声だし、社会不適合顔だし、と自嘲的に言うと、アハハハと、また馬鹿にしたように笑っていたので、やっぱりこいつは心底馬鹿にしていやがる、と確信しました。こういう社会には適合している私です。

ゆらゆら揺れる高温の炎

その店に三番目にやってきたのは、大学の同期であり私の中では特殊な関係の友人でした。

巷では、異性との間には友情が存在するのか、という昔ながらの問いがいまだにあると思うけれど、私にとって、たぶんこの友人がそれにあたるのだろうと思います。

 

2年半ほど前に会ったのが最後でしょうか、そのあとも一度会っているかもしれませんが、時期の記憶が曖昧なのでどちらが先だったかもう今となってはわかりません。印象としては、ずいぶん落ち込んで傷ついている姿が最後のイメージとして残っています。

 

大学時代は様々なところで苦楽を共にしてきました。キラキラと輝いているような瞬間もあれば、かなり深い根っこの部分でお互いの暗い暗い闇も見てきました。前者は大勢で迎え、後者はただ二人で迎えてきたことが多かったように思います。また、卒業してからもしばらくはたまに電話がかかってきました。それはだいたいぶちまけたいときだとか、泣きたいときだとか、とても陰鬱な雰囲気でした。

 

 この日、姿を現したかと思うと明るいトーンで、ああ、久しぶりー、と言い、少し元気な感じだったので、ホッとしたというか、ちょっと高揚するものがありました。元気というよりも、どこか吹っ切れたような感じ、ひと山越えた感じ、突き抜けた感じ、という方が合っていたかもしれません。 話を聞いていても、前とは少し考え方、感じ方が変わってきているのだろうか、と思うようなこともありました。それはそれで、私は友人にとって、とてもいいことだと思って聞いていました。

 

さて、久しぶりに会ったので、友人は私のことについても尋ねてきます。私がいつものように自分のことについての質問に対しては、歯切れの悪い返答に終始していると、なに、恥ずかしいの、と聞いてきます。別に恥ずかしいとかいうことではないのですが、友人は続けて、今さら恥ずかしいことなんかあるの、ときます。

この友人にしては珍しく芯を食ったような発言にちょっと驚いてしまったのですが、たしかにそれはその通りです。

 

しばらく会っていなかったし、連絡も取っていなかったのですが、友人の中にも私は変わらずに私として残っていたことが、別に不安に思っていたわけではないのですが妙に嬉しかったのは、私にとって、とても興味深い出来事でした。

ぼんやりとした薄暗い部屋で

この日は友人宅に泊めてもらいます。

ひと月前は泊めてもらう予定が、やむにやまれぬ事情から徹夜仕事になってしまったために早朝に落ち合うということになってしまっていたのですが、今回はそうはなりません。夕食からともにすることになっています。古い友人たちに声をかけて集まりました。

 

まだ予定の時間よりもいくらか早かったのですが、まずは私が店に着きました。

ほどなくして、この友人が、やはり予定の時間よりも少し早くやってきました。

大学時代の相棒というような友人なのですが、そういえば、初めて会ったときも、多くの人たちが待ち合わせている駅の前で、やはり予定よりも一足早く着いて待っていた時でした。

 

あと数人来る予定なのですが、待っていないといけないということもないので、先に食べ始めることにしました。友人も私もお酒に強くないので焼き鳥の店で烏龍茶です。

 

焼き鳥とたこわさと鳥皮ポン酢をつまみに烏龍茶をちびちびとやりながら、とりとめのない話をしました。少し後に合流した友人たちから、二人で何の話をしていたのか、と聞かれたけれど、とりとめのない話、というのがもっともふさわしいと思うほど、本当にたいした話はしていません。仕事の状況について聞くわけでもないし、日々の生活について聞くわけでもないし、もちろん社会問題について話し合うわけでもなく、笑いが起きるでもなく、声を荒らげるでもなく、互いに通りにくい声をなんならいつもよりもおとなしい程度に発しながら、淡々と落ち着いて。

 

大学時代、いったいどういう関係性で、どういう感じでやりとりしてたか、良く考えるとあんまりちゃんと覚えていません。たぶん、はしゃいでいたり、真剣に議論したり、馬鹿げたことをしては笑い合い、なにかを一緒に作ったり、なにかを一緒にしきったりしていて、そんな時は私が多少ずれてしまってもそれとなく整えてくれたり、むしろそれがわかっているから私は思い切ってどんどん進んでいけたわけで、感情の起伏はそれなりに激しく、それらをずいぶんと共有してきたと、そう思います。

 

でも今は違います。

 

私の根底にある暗い感じを一から十まで出してもいい相手は限られていて、その数少ない一人がこの友人であることは間違いないのです。

 

その晩、友人宅に泊まり、翌朝は洒落た朝食にコーヒーをいただきました。友人の奥さんはソファーに横になるとうたた寝をしてしまい、また二人の時間になりましたが、ここでもまたおもしろいほどなんにも話をしていません。

私が出発する時間になり、すいませんね、何のお構いもせず、と駅まで車で送ってくれました。いえいえ、どうもありがとうございました、と車を降りました。

ドタおじさんの腕時計

友人宅におじゃますると、娘の〇ちゃんとご対面です。

前に会ったのは今年のお盆のことですので、およそ3ヶ月ぶりです。その時は、はじめはかなり警戒していてこちらを覗き見ては伏せる、という繰り返しから、徐々に意気投合していったという記憶があります。

この日は私を見るや否や、友人に抱きかかえられたまま泣きに泣きました。昼寝がまだだということで友人が〇ちゃんを寝かしつけると、友人としばらく静かに話をしました。ほどなくして、寝室から泣き声が聞こえました。友人が抱いてこちらに戻ってくると、〇ちゃんはまた私を見つけて、泣きに泣きました。また寝かせて、また起きて。

 

こういうこともあるだろうとある程度は予想していたので、〇ちゃんとのコミュニケーションツールとして私がここにいる時間帯に届くように柿を送っておいたのですが、住所を間違えていて届きませんでした。予定通り届いていたらもう少し早く打ち解けていたかもしれないのですが、そうでないかもしれません。

 

さて、〇ちゃんの警戒態勢はなかなか崩れることがありません。こちらを見ては泣き、また見ては泣き、の繰り返しの中で、いったいどうしたらいいものか、私にはよくわかりません。見られたら泣かれるので、机の陰に隠れてみました。泣かなかったので、少し顔を出してみたり、また隠れてみたりしているうちに、〇ちゃんのかすかな興味を感じ取れたので、起き上がっては倒れて、という動きに移行しました。友人のサポートも手伝って、泣くところまではいかなくなりました。不思議そうにこちらを見ています。

 

しかし、ここからもうひとつ踏み出さないことには仲良くなれないと思い、次は音を鳴らす作戦に打って出ました。机を軽く叩いてみたり、コップを鳴らしてみたり。どうやらそれが見事にハマったようで、〇ちゃんは〇ちゃんで音を鳴らし始めました。私がチンチンチン、とすると、それに応えるように、チンチンチン、いや時にはチンチンチンチンチンだったりもするのですが、ともかくアクションとリアクションがリンクし始めました。

 

これを機に、私は物理的にも距離を縮めました。座っている位置を変えて、少し〇ちゃんに近づきます。音作戦は継続し、あれやこれやと鳴らすのですが、〇ちゃんの一番はコップでした。そこで、今度はコップの位置をずらすなどして〇ちゃんをおびき寄せます。それが功を奏したわけではないと思いますが、そうこうしているうちに〇ちゃんも近くにやってきたり、また友人のところに戻ったり。

 

と、今度は〇ちゃんが私の時計に興味を示しました。もうすぐ2歳になる〇ちゃんは、少ししゃべることができます。とけい、と言います。いや、おけい、かもしれません。友人曰く、〇ちゃんは時計がとても好きなのだそうです。私は時計を見せると〇ちゃんは小さなひとさし指で触ります。また時計を渡すと、しげしげと見てから、こちらに反してくれます。時計を腕につけてあげるとどことなく嬉しそうなのですが、あまりに小さな手、するりと抜けおち、すぐに返してくれました。

 

それから、ハイタッチしたり、カレーパンマンの飛び降り遊びをしたり、みかんをもらったり、隙を見て抱き寄せたり、その都度すぐに逃げられたり。

 

その様子を見た友人は、なにこの静かな会話、と言って笑っていました。

 

 

次に会うのはいつでしょうか。きっとまた一から関係を築かなければいけないのですが、親譲りのこの性格、それも楽しみです。

チューニング

よくよく考えると出張ついでに人に会うというのが、今の私の最大の楽しみかもしれません。予定が入った日の前日、午前中にもう一つの予定を入れて、昼過ぎからはお楽しみタイムの始まりです。まずは私が大学時代を過ごした土地に住む友人宅へ。

 

育休中の友人は予定ではもうしばらくで復職という時期なのですが、聞くところによるといろいろと考えた結果、復職せずに退職することに決めたそうです。そうするんじゃないかという感じがあったので、それを聞いて私はよかったんじゃないかと思いました。

友人はなんだかすっきりしたような様子で、そのうちこういうところでこういうパートで働くかもね、みたいな想像話をしていました。私はその話を聞きながら、だったら絵本を描けばいいんじゃない、と言おうと思いましたが、あまり人にこうしたらどうかということを言うのも野暮な感じがするのでやめておきました。

 

ここ数年、本屋に行くと絵本コーナーをのぞくことが多くなりました。私には子どもはいないのですが、友人たちには続々と子どもが産まれ、いい絵本があれば機会を見つけてはプレゼントしています。そうすると不思議なもので絵本について考えることが増えていくわけです。もちろん市販の絵本の中にもとても素敵なものも多いのですが、個人的にはそういうものよりも素敵なものってどんなものだろうかと想像した時に、やはり友人の創る絵本が想起されるのです。

 

その友人の豊かな才能を、私は幾度も幾度も見かけています。それは自身の結婚式で披露した鉛筆ひとつ描いた自作のアニメーションであったり、それはふた月に一度の句会で披露されている俳句であったり、それは日々のブログの文章であったり、それは学生時代に作っていたぬいぐるみであったり、いたるところに散りばめられていますが、もちろんその基盤となっているのは個性、価値観、コンプレックス、といったものから滲み出るその人そのものなのでしょうけれども。ともかく、もしも私に子どもができたとしたら、その友人に絵本を創ってもらいたいと思っていました。

 

さて、そうこうしていると友人は、何年後かには絵本の勉強をして絵本を作りたい、と言いました。ああ、本人もそう思っていたのか、なんて素敵なことなんだろう、でも確かにこういうことってよくあるんだよね、と、なぜだかワクワクが溢れ出てきました。そして、だったら言おう思ったときに言っておいたらよかったなあ、と、ちょっと後悔もしたりしました。このずれは、今の私の感覚が少しずれていてる、たぶん日常生活に引っ張られてしまっているんだと思います。

 

 

たぶん、ずいぶんと喜んでくれるんじゃないかなと思って、会いに来る何日か前に私の住む土地の柿を送りました。ちょうど私が友人の家にいる時に届くように日時を指定しておいたつもりなのですが、結局その日は届きませんでした。数日後、郵便局からの電話で住所を誤って記載していたことを知りました。ひとつ前の家の住所でした。やっぱり少しずれていて、なかなかうまくいきません。

 

今のうちに修正しておかないとね。

シット・アンド・ダウン

自分の手で物を創るとか、形として残す、あるいは作品と言ってもいいのかもしれませんが、そういった類いのことが上手にできる人たちには尊敬の念を抱かずにはおれません。学校の授業で言えば、図工、音楽、美術、書道、あるいは国語も一部そうでしょうか。

 

例えば漫画家のインタビューを読んでみると、このシーンを描きたかった、というような言葉が見られます。具体的な絵が浮かんでいるのでしょう。

あるいは俳句などの解説を聞くと、この句からは情景が浮かび上がる、というような表現でもってその作品の良さが語られることがあります。

もしくは本当にちょっとした工作やお絵かきのようなことであったとしても、ある程度の設計プランや完成後のイメージがあるのだろうと思います。

何年も前、誰かと話しているときにふと気がついたのですが、私はそういったことが非常に苦手なようです。何かを考える時や想像するときに、ビジュアル的なことがまったくと言っていいほど頭には浮かんできません。ほとんどモヤモヤ、あるいは文字で考えてしまうのです。どうやら世の中にはそうではなく、絵、画、ビジュアルでイメージすることが得意な人たちがいるみたいです。

 

そういえば、人の顔を覚えることも苦手だし、素晴らしい景色を見たとしても一瞬のものですぐにどこかへ行ってしまいます。共通の思い出をもつ友人たちと話をしていても、みんなが覚えているシーンを覚えていないのは、映像としての記憶が苦手だからなのかもしれません。情報処理能力が低いため、複雑なことは記憶できないし、想起できないし、ましてや創造できないのだろうと思います。もしくはそもそも情報処理の仕方が違うのかもしれませんが。

 

反対に、そういったことができる人たちの中でもさらに感性の優れた人たちだけが、人の心に響くものを生み出していけるのだろうと思います。

 

芸術、というと枠が狭まってしまう気がするので適切ではない気がするのですが、広くそのような表現ができる人たちに尊敬の念を抱くとともに、少しばかりの嫉妬が混じっているということは、私は本当はそういうことができる人になりたいと潜在的に思っているのだということが、最近になってようやくわかりました。そしてその才能のなさを自覚しているがゆえに、ひどくがっかりするのです。

先駆けと殿

イベントごとが次から次へとやってきて、なにかと慌ただしい日々が続いていました。またすぐに次のイベントがやってくるので準備しないといけないことはまだまだあるのですが、思い切って丸一日休養日にしました。

 

 

紅葉の秋、さほど興味もないのですが、車で1時間ほどのところにいくつかの名所があるということだったので、そちら方面に出かけてみることにしました。まず向かったのは、私が2年に1回ほどのペースで自然に癒されたい時に訪れる滝です。

いつも停める山の麓の駐車場への道を走っていると、少し手前に駐車場右折の表記がありました。いつもなら曲がらないのですが、久しぶりだったこともあって少し不安になって表記の通りに曲がってしまいました。すぐに間違いだったことに気がついたのですが、そこは山道、返すに返せません。仕方なく山道を走ります。思いのほか長く走り、着いたのは滝のすぐ近くの駐車場でした。

いつもの駐車場から滝まではそれなりの坂を結構な時間をかけて歩かなければなりません。滝にたどり着くころには息が上がっています。ところが、道を間違えたおかげですぐそこに滝です。しかも下り。

滝へと歩くと、これまで以上にじっくりと滝に感じ入ってしまいました。それだけの余裕があったということです。次来るときもこちらの駐車場にしようと、そう思いました。

 さて、紅葉を、と思ってきたわけですが、すこし時期が早かったようです、ほとんど緑の木々に囲まれた滝を堪能しました。

 

山を下り、もう少しだけ車を走らせたところに、次の紅葉スポットがあります。そこは小さな川に吊り橋というシチュエーションが魅力です。人はほとんどいませんでした。

吊り橋、というともう少し山間にあるのかと思ったのですが、駐車場からすぐのところにあり、拍子抜けしました。しかし、川が好きな私には吊り橋から眺めるその川もすぐに気に入ってしまいました。もちろん緑の木々に囲まれていました。

 

 

滝も川も、水の流れを見入ってしまいます。どこから始まるわけでもなく、どこで終わるわけでもなく、どれだけ目をやってもあっという間に見失ってしまいます。自分と重ねてみたりするわけではありません。

 

帰り道、はちみつソフトにはちみつかけ放題の店に寄りました。

どの花の蜜かによって実に15種類ほどのはちみつが用意されていました。王道のあかしあはもちろんおいしかったのですが、蕎麦のはちみつがクセが強くて気に入りました。自分と重ねてみたりするわけではありません。

暗闇の中の微動

毎年何かしらの形で手伝っているイベントがあり、主催ではなくあくまで協力団体の一つとしてではありますが、ここ数年はかなり運営の中心的なところまで入り込んでいます。というのも、主催する団体がなかなか組織としての一体感がなく、結局のところその中のひとりにほとんどの負荷がかかっているという状態がずっと続いているので、私なんかからすると、それはさすがに大変だろうということで、できることは私もやりますよ、というところです。

 

そのイベントは今年が一つの節目の年でもあったのですが、テレビの取材が入ることになりました。しかも、そのイベント自体もさることながら、その負荷がかかっている個人にスポットを当て、イベントの準備の段階から当日の様子、特にその人のまわりでサポートをする人たちとの関係性みたいなところを中心にしたいということでした。

 

この夏、私にとっては気持ちの上でひとつ大きな区切りをつけられる出来事があり、その際にこれまでに縁のあったメディアの方々とも久しぶりの接点を持つ機会があったのですが、ひょんなことからそのイベントのことについても話題にもぼりました。思いのほか興味を持っていただいたようで、夏を過ぎたころにその方から取材の申し出があったのです。そんな経緯だったので、私が主催者との間に入ることになり、あることないこと話しているうちに、取材のテーマが決まっていったというわけです。

 

中心メンバーが集まっての事前のミーティングや当日の準備から本番の様子などをカメラに収め、主催者やサポートするメンバーのインタビューを取りました。私もインタビューを受けましたが、極度の緊張で、普段の姿が出せませんでした。

 

その2日後の夕方に番組内の特集として扱われたそのイベントでは、やはり私のインタビューも使われていました。

 

 

内容はさておき、画面からは嫌でも緊張が伝わり、隠しきれない根の暗さが滲み出ている上に、話しを聞けばあまりの声の通らなさに愕然としました。

日頃、私の声が聞こえないと散々馬鹿にされてきており、自分でもネタにすることも多々ありましたが、何の言い訳もできないくらいに声の通らなさを実感した私は、まわりの人の苦労が少しだけ分かった気がしました。